…続き
彼の進んだ大学は野球の強豪というわけではなかったが、近隣から有望な選手を集めていた。
彼と同じような地方大会ベスト16程度レベルの同級生は多くいた。
それ以上の者もいた。
彼は自分が『井の中の蛙🐸』であった事をすぐに理解した。
大学の体育系のクラブの規律は厳しい。
四年生は“神様”であり、三年生が“人間”、二年生は“奴隷”と称されるほど上下関係がキツい。
一年生ともなると、扱いが酷く悪い。
彼は、推薦入学だが、一年生の彼をなど野球内では“奴隷以下”の扱いしかされない。
これに彼は大きな不満を抱いた。
高校の頃には、一年生でレギュラーを獲得し、上級生からも一目置かれていた。
だが、ここ(大学)では“その他大勢”と変わらない立場だった。誰も遠慮はしてくれない。
実力を見せたいが、それは他の同級生より抜きに出るようなものではない。事実、彼より上手い同級生が何人かいた。
中学の頃から野球に自信を持っていた彼のプライドは酷く傷付いた。
高校時代、周りから優遇され、特別扱いをされていた彼は、この状況が我慢ならなかった。
大学の授業は全く分からなかった。
というより、興味がなかった。
彼の日々はどうにもならない。
入学から半年が経ち、夏期休暇にはいると、彼は野球部の練習をサボるようになる。
地元に帰省して、休暇のギリギリまで地元にいた。
高校時代の友達らは相変わらず彼を慕い、地元にいる交際中の彼女も彼に優しかった。
両親は「野球、しっかりやんな」と静かに言うのみだった。
両親の微妙な変化に気が付かない彼は、夏期休暇明けに大学に行くのが面倒になった。
自然と足は下宿先のアパートから大学には向かわなくなり、向かうのは近所のパチンコ屋になった。
実は高校の頃から変わって何度かやっては大学と野球に興味を持てなくなっていた彼は、スロットにハマっていった。
資金💴が無くなると、実家に電話して無心した。
そんな生活が一年ほど過ごした彼は、大学二年になると学校、野球部には全く顔を出さなくなり、朝からパチスロ🎰に行くようになる。
この頃、彼にとって大学はかなり『魅力の無い』場所になっていた。
だが、スポーツ推薦で入学している彼が、野球部をサボるのを大学側は見過ごさない。
大学側から地元の両親に連絡が入り、父親から彼に“お叱り”の電話が来た。
父「お前は何をやってんだ💢 ちゃんと学校にいけ!」
彼「…もう大学なんて行きたくねぇーよ💧」
高校までは野球をしておけば、歯向かう者などおらず、“1番”だった彼にとって、他人から優遇されない大学野球部は酷く色褪せたものに映った。
独り暮らしも大変なだけだった。
父親はそんな彼に「…よしよし、分かった。そんならこっち(地元)に帰ってこい。俺の仕事を手伝え」と言った。
彼はそうしようと思った。
ここに自分の居場所は無い。
地元に帰ったら、仲間がいる。また自分が1番だ。金💰は両親がいるから大丈夫だ。
彼は大学を中退し、地元に戻る事にした。父の工務店に就職することにしたのだ。
彼は父に「…俺、そっちに戻ったら、車、欲しいんだけど…」とおねだりした。
父は「…あー、分かった」と短く言った。
地元では車が無いと、生きていけない。
彼は高級車を転がす自身を想像し、密かに喜んでいた。
だが、彼は気付くべきだった。
両親からの仕送りの額が一年前から減少していること。
何故、父が「…俺の仕事を手伝え」と言ったのか。
彼が実家に戻ると、様々なものが変わっていた。
まず、工務店は規模こそ変わらないものの、10人いた従業員が1人もいなくなっていた。
父と母だけになっていたのだ。
それで、父は毎日営業に出かけた。
営業先は、大手の住宅メーカー。そこから仕事を受注していたのだ。
以前とは違い、父はメーカーの担当者にペコペコと頭を下げていた。
また、そのメーカーだけでなく、父親は市内の大きな宅建会社や住宅補修の会社を回り、仕事をもらっていた。
以前の父は営業などする事も無く、工務店で構えていれば良かったのだが、今は違った。乗っている車も、彼が子供の頃に乗っていた軽自動車に戻っていた。
父が彼の為に用意した車も、軽自動車であり、7年落ちの中古車(軽)🚙だった。
営業の結果、工務店に仕事が発注される。
すると、父は以前からいた従業員を電話で召集した。
前は、“親方”のように彼らにあれこれと指示を出していた父だが、今はその“元”従業員らにも気を使っているようだった。
父の工務店は、急激に冷え込んだ地方経済の波に揉まれ、事業規模を縮小していた。かつていた従業員は全員クビにして、仕事の受注をした時に“依頼”する“請負工”のような関係になった。
“元”従業員らは、他の工務店などとも“契約”をしていて、必ずこちらの依頼を受けてくれるわけではなかった。
職人として、“フリー”で稼いでいるようだった。
無所属となり、仕事場を選ぶようになった。
なので、父親は低姿勢になる。
彼らがいないと仕事にならないのだ。
また父の工務店自体も独立を保てなくなり、大手の住宅メーカーの“請負会社”になっていた。
営業等で好きに稼げるが、そのメーカーからの仕事は常に優先される。
だが、大手メーカーからの受注、金額は少ない。
だが、定期的に仕事は貰える。そこだけがメリットだと、父は言った。
そのメーカーからの仕事は、父の工務店の“生命線”だった。だから父は毎日のように営業回りをして、担当者のご機嫌を伺っていた。
もちろん、それだけでは食えていけず、他の建築業者に仕事をお願いしていた。
父親は、子供の彼にもその営業に付き合わせた。
子供の頃とまるで違う父の姿に彼は戸惑って、軽蔑さえした。そして、思った。
(…俺、騙されたわー)
あの景気の良い工務店はどこにいったのか。
大工である父が何故、毎日営業活動に回らないといけないのか。
それを俺もしないといけないのか。
こんなの嘘だ、とさえ思った。
さらに、彼の友人関係も変わっていた。
彼の同級生の内、大学に進学した者らは、まだ地元を離れていた。
地元に残った奴らは、皆、就職をしていた。
彼らは“零細工務店”の彼より明らかに懐事情が良かった。
それに付き合うと、彼の資金はたちまち破綻した。
以前なら、母親にせがめば幾らか融通してくれたのだが、今の実家にそんな余裕は無い。
またもう“社会人”の彼に、親から金を貰うのは格好が悪かった。
彼は友人らかの誘いを断るようになる。
遊びに付き合えなくなると、友人らとの関係は希薄になっていった。
高校生の頃、彼の小遣いで遊ばせてもらった友人が、「何だよ~。奢ろうか?」などと言ってきたりした。
皆、彼より良い車に乗っていた。
彼は地元の友人達から、見下された👀ような気持ちになった。
次第に、もっと会わなくなる。
付き合っていた彼女とも疎遠になっていく。
彼女は彼が地元に戻った事を喜んでいたようだったが、久しぶりに会う彼が中古の軽で現れると、少し不満そうになった。
彼は、また(騙された)と思った。
友人も彼女も、彼の何を見ていたのだろうか。
友人、彼女との関係が微妙になると、仕事にも身が入らなくなっていく。
父親の後ろに付いての営業回りや、従業員らと現場で働いた後、またパチスロ🎰に行くのが日課になった。
父親は、息子の彼にしっかりと給料を渡していたが、彼はそれを二週間程で使いきっていた。
次第に、パチスロ🎰がやめられなくなった。
もう地元の友人らと遊ぶ事もなく、高校生の頃から交際していた彼女とも別れた💔
現場で働く従業員から父親に「社長の息子さん、またサボってんすけどー」などとクレームが入り、父親が「お前はもう少し、仕事に身を入れろ!💢」と怒った。
だが、彼は全く態度を改めなかった。
こんなはずではない。
俺の“将来”はこんなものではない。
メーカーの担当者にペコペコ。従業員らにまたペコペコ。友人や彼女からは小馬鹿にされる…。
そんな将来など、嘘だ。
俺は騙されたのだ。
大学にいけば、もっと優遇されるはず。
父親の会社(工務店)は、儲かっているはず。
友人らは俺を引き立てくれ、可愛い彼女は俺を支えてくれるはず、だった…。
それが何だ、これは?
俺は騙された💧
時は、1999年。
まだ不況は収まりそうもなかった。
日本全体を包んでいた不況の嵐はまだ抜けそうにもなかった。
そんな感じで、彼が地元に戻って7年が瞬く間に過ぎた。
“平成不況”に終わりは無い。彼の地元の経済も冷えきったままだった。
彼は結婚❤️👫❤️した。
たまたま知り合った同い年の女性。
以前の彼女に比べると、地味で暗い印象があったが、今の自分にはお似合いだと思った。
すぐに子供が生まれた。
この数年間だけは、彼が前向きに働けた時期だった。
だが、すぐに戻ってしまった。
“大人しくて、地味”と思っていた妻は、子供が生まれると人が変わったように彼に罵声を放つようになった。
「家の手伝いをして」
「子育てに協力して」
「もっと稼げ!」
妻の言葉はもっともだったが、幼い頃から他人にとやかく言われるのが大嫌いな彼は、父親以外からの苦言を受け付けなかった。
次第に自宅からも足が遠くなる。
仕事帰り、何かと理由を付けて遅くなり、パチスロ🎰をした。
もう彼には、これしかなかったのだ。
彼は、全てが嫌だった…。
やがて、父親が倒れた。脳梗塞だった。
工務店の為、慣れない営業回りが父にストレスを与えていたのだ。
一度は退院した父は働く事ができなくなり、介護が必要になった。
その役目は当然、妻になる。
これに妻がキレた💢
「何で子育てもして、アンタの親父の介護までしないといけないのよ💢」
妻は、父親の介護を激しく拒み、夫婦間の口論が絶えなくなった。
やがて、離婚の話が出て、彼もそれに抗えなかった。
妻が息子を連れて出ていく時、「…本当に、騙された💧」と捨て台詞を彼に浴びせた。
妻は、彼が会社(工務店)の社長の息子だから結婚したらしい。
(そりゃ、こっちの台詞だよ💢)と彼は内心思った。
父が社長を辞め、工務店の社長は母親になった。
30間近の息子の働きが不安だったのと、営業回りをするのが、父から彼に変わったからだ。
彼は、ようやく工務店の運営に直接関わるようななる。
そして、父の大変さが分かった。
メーカーの担当者は毎回仕事を回してくれるわけではない。それでも毎日のように顔を出さないといけない。少しでも機嫌を損ねないように、慎重に、丁寧に接した。
仕事をもらったら、次は働く従業員(職人)の確保だ。
彼らはプライドが高く、金にシビアだった。
まだ“若造”の彼など見下したところさえあった。
仕事を与えているのは、工務店側なのだが、その仕事を完遂するには従業員らの働きが肝心だ。
彼は怒りを抑えて、職人らにたのんだ。
職人が決まったら、次は資材室だ。
予算は決まっている。
その予算内で“儲け”が出るように資材費を抑えなくてはならない。
経理は母親だったが、交渉は彼だった。
資材業者にバカにされながら、資材の値段をギリギリまで調整した。
(…親父は、こんな苦労をしていたのか)
彼は改めて、父の凄さと苦労が分かった。
分かった頃、父が亡くなった。
彼は父親が人知れずしていた苦労に対し、感謝することさえできなかった。
母が社長になり、彼が営業として、大手メーカーや宅建会社を回り、何とか仕事をもらい、職人らを使い、ギリギリの生活をしていた。
別れた妻からは、息子の養育の請求があり、毎月、少なからずの金を渡していた。
たまに息子に会うが、別れた妻はあまり良い顔をしない。
やり直す気持ちなど微塵も無いようだった。
2008年、そんな彼に転機が訪れる。