鈴木篠千の日記

2度目の移籍。浜松近郊でフリーライターしてます。①日記(普段の生活やテレビの話題と社会考察) ②プロレス心理学(とプロレス&格闘技の話) ③非居酒屋放浪記 ④派遣録(派遣していた&いる時や過去の話)

5/5 SDGzは“正しい”か?(昨日)

昨日(5/4)はみどりの日だった。

1日遅くなってたが、“緑”の話題を書こうか?

 

 

今やたらと、SDGzの話題を聴く。

『持続可能な未来を作る為の課題』という事でやたらと、“節約しよう”とか“無駄を省こう”、“資源を守ろう”、“プラスチックをやめよう”などと盛んに言われている。

 

有限な資源を節約する考えは良いと思うが、何でも“SDGz”というのは違うのでは?

 

まず疑問なのが、どうもテレビやスター、タレントが言っているから、SDGzを叫んでないか?、と思える事だ。

それは地球環境を意識して、ではなく単なるファッションの一部。つまり、流行ではないか?

 

ま、流行でも無駄を失くそうとするのは良いことだ。

 

だが、流行りには廃りもある。

数年後、SDGzってどうなるの?

「あー、昔、流行っていたなぁ」などと言われてないだろうか?

 

 

そして、何でも“節約しろ”は正しいのだろうか、意味があるのか、自然を保護することになるのか?

 

というのは、割り箸の事である。

 

 「割り箸って無駄じゃないか?」とはSDGzなど叫ばれていなかった昔から言われていた。やたらとそよSDGzが叫ばれている昨今、割り箸の消費を控えて、『箸の持ち込み』なども推奨されている。コンビニでは『箸の有料化』も検討されていると聴いた。

 

だが、「割り箸って、無駄」「割り箸って、自然破壊」とは、随分前から言われている。

以前から、割り箸の為の木材切り出しはかなり制限されていた。

今や、割り箸を作るために木材を切り出す事はかなり少なくなり、他の木製品の切り出しの際に、出た半端な木材(廃材)を使って割り箸を作っている。

(割り箸用の切り出しも無くはないようだ)

 

つまり、廃木材の用途が割り箸しかなく、今の割り箸は“再利用”されているのだ。

割り箸とは、実は“エコ”だったのだ。

 

そんな割り箸が今作られなくなり、その廃木材がどうなっているのか?

 

廃棄(焼却🔥)されているという。

 

廃木材を割り箸以外使える“先”があれば良いのだが、それが見当たらないから、割り箸にしていたのだ。

 

その事からして、既に割り箸はエコではないか?

 

つまり、SDGzで「割り箸を使わないようにしよう。割り箸は無駄だ」と言って、推進すればするほど無駄に廃棄(焼却)される木材が増える、という皮肉な結果になる。

 

それって、意味あるの?

 

捨てられてしまう木材なら、割り箸として使った方が良くないか?

もしくは、割り箸以外の大量使用が出来る先を見つけるべきでは?