前回の“お金の信者”の話を書いていたら、思い出した事がある。
かつて、“お金💴の信者”に“成りかけた事”があった。
なので、今回(138)は前回の続き、みたいな感じ。
あれは2度目の脳腫瘍の手術後、某年金機構にアシスタント職員(非正規)をしていた俺に、契約満了が近付いていた。
2度の腫瘍除去手術で言葉が戻るかと期待したが、ダメだった。理学療法などで呂律は回復したものの、口調は完全には戻らなかった。
それでも俺は楽天的だった。
まだ年齢は34才。病気(脳腫瘍)になったが、俺は(…まだまだ)働けると思っていた。
ここ(年金事務所)を辞めても、(…すぐに再就職できる♥️)と信じきっていた。
2度目の手術から復帰せず、契約満了になった。
最後の日、俺は事務所に電話して所属していた課の課長に挨拶をした。
その時の課長の口調がおかしかった。 “奥歯に物が挟まった”言い方をしていた。
「…もうしばらくしたら、準職員の応募、あるからね…」
そんな事を言った。つまり、『またここ(年金機構)に応募してね』と言いたかったのだろう。
それをはっきりと言わず、何か“匂わす”ように話す課長に奇妙な感じしか受けなかった。
何故、普通に「鈴木くん、準社員に応募してみないか?」と尋ねられないのか?
準職員になった俺に“何かあったら”、責任を取らされると思ったのか?
馬鹿馬鹿しい。
そもそも俺は、再び年金機構に応募する気持ちがなかった。
術後の“声”では、準職員など無理だと思えた。口調は回復せず、呂律も完全に戻っていない。飲んでないのに、飲んでいる🍶のような話し方しかできないし、すぐに言葉が出なかった。(…今も)
さらに、(すぐに再就職できる)と“思い込んでいた”俺は、「…はあ」としか答えなかった。
その気がなかったのだ。
俺は甘かった…。
30過ぎの“病気持ち”のおじさんを受け入れてくれる会社などあるはずがない。
俺は再就職に失敗した。
俺を雇ってくれる会社など、浜松に、静岡県西部にはなかった。
バイトさえ決まらず、俺は日雇い派遣などで稼ぐようになる。
年金機構を辞めて、数ヵ月後、職を探す俺はハローワークの求人検索機の前にいた。
で、俺のいた年金事務所の“準職員”応募の求人を見た。それは事務所からの応募ではなく、事務所を管轄する“ブロック”からの応募だった。
俺にはそれが“俺自身への求人”に思えた。
そして、相当頭に来た💢
俺にはそれが、『お前どうせ、どこも雇っちゃくれないんだろ?、ほら準職員で雇ってやるよ(笑)』と見えたのだ。
1度目の手術前に準職員採用試験を受けていた俺は、手術直後に“不採用”の通知をもらっていた俺は、病気になった俺に“哀れみ”のように、求人を出してくるやり方に腹が立った💢
そして、(…誰が行くかっ💢)と無視した。
人をバカにするな💢
この組織(某年金機構)はこういう事を平気でするのだ。
…そして10年。
俺はこうして貧困の中に喘いでいる。今も非正規しか出来ずにいる。
来月の収入💴を考えると頭が痛い。
結婚したいが、非正規では…。(相手は?)
他人からバカにされ、揉めてばかりいる。
なかなか正規の仕事に就けない。
…こんな状況だと、『もしも…』、と思ってしまう。
“あの時”、あの“ブロック”からの求人に応募していたら?
俺はこんな生活になっていただろうか?
準職員としてバリバリ働き、当時付き合っていた女性と結婚していたのかもしれない。
貯金💴も出来ていたのかも?
今よりマシな生き方をしていた?
“あの時”、ハローワークであの求人を見たとき、俺の頭を過ったのは、お金💴の事だった。
『もう一度、今度は準職員として採用されたら、収入は確保できる…』と思ってしまった💦
だが、その反面。
この機構の“やり方”に腹が立った💢
「…ほら、どうせお前なんて、ウチが面倒みないとどこも雇っちゃっくれないんだろ?」と俺に言われた気がした。
所属していた課の前課長とかなり仲が悪かった俺は、それもあり、怒り💢しか沸いてこなかった。
だが、貧困は辛い💧
非正規は辛い💧
もしも、準職員として採用されていたら、少しはマシだったかもしれない。
そして同時にコキ使われていたと思う。
以前の求人誌の編集同様、「お前、誰のおかげで働けて、給料貰えていると思ってんだ?」とまた適当に扱われていただろう。
俺は、今もこの機構の一連の対応が許せないでいる💢💢💢
俺はコキ使われるのは構わない。
それが、仕事だし、そうしないと組織(会社、事務所)は回らない。
だが、“適当に扱われる”のはどうか?
それを我慢するのは“お金💴”だ。
お金💴で我慢してしまう。
収入💰️が貰えるなら、理不尽を堪えてしまえる。
それは“信者”だ。お金の為に働く、動く、信者だ。
あの時、俺は“お金の奴隷”に成りかけていた、と思う。
今は辛い💧が、その信者に成らなくて良かったと思っている。
誰かの意図の中で働くのは、もうたくさんだ。
あそこ(某年金機構)は、人を人と思っていないような感じかある。
“人間扱い”しない。“差別”を感じていた。
ここが俺の人生の“分水嶺”(分かれ目)だった、と思う。
何も“お金の信者”💴や“奴隷”💰️がダメだ、というのではない。
それを言ったら、今も俺は信者だし、奴隷だ。
ひょっとしたら、日雇い派遣などは奴隷そのものかもしれない。
プロレス界では、たまに(というか“よく”)金銭トラブルが起こる。
選手の離脱、退団、移籍、復帰などは、ほぼお金💴だろう。(感情的なものもあるにはあるだろうが…)
揉めたりしているのを見ると、(…レスラーってお金で動くのか?)、と辟易とするが、変な話だ。
それは当たり前だ。
俺だって、観客も、レスラーも、稼ぐため💴💰️に“働いている”のだ。
誰もがお金を得たい、少しでも多くの金銭を得たいのだから、移籍や離脱は当たり前。
プロ(フェッショナル)なのだから、その行動には金銭(ギャラ💰️)が発生する。
“社会”では当然。
だから、“働く(労働)”という行動にお金が発生する。
どんな労働でも、軽作業だろうが、重労働だろうが、それは“働く人間”(労働者)の“判断”だ。
だが、労働者も人間。俺も人間、レスラーも人間。
雇い主も人間、観客も人間。
“差別”は許せない。
人間扱いされないのなら、こちらをもそちらを“人間”とは思わない。
“人間らしさ”が損なわれている組織(団体)には、いたくない。
そこで、レスラー(労働者)を“縛る”のは金銭(給料💴)だ。
レスラーも“ギャラ”💴がでるから、“負け”というブック(台本)やスクリプトを受け入れる。
…それがお金という“信者”だ。
もし、“あの時”に課長に“靡いて”準職員”になっていたら、俺はあり得る理不尽を(…お金💴が出るのたがら)、(給料💴を貰うのだから…)と受け入れていと思う。
“人としての尊厳”を傷付けられても、我慢してしまったかも?
だから、今俺は貧乏だし、不安定だが、あの組織のお金の信者に成らなくてて良かったと思っている。
人間として、労働者として、バカにされ、差別されるような環境にいなくて良かったと、心から思う。
本当に、“あの時、ハロワで見た求人”にカチン💢と来て良かった。
(…これいいじゃん、憧れの“準職員”だ♥️)とか(…これで当面、お金には困らないな…)などと思って、応募したら、たちまち奴隷だ。
お金の為に働き、コキ使われ、文句も言えない…。
そんな人間になっていたのではないか?
やれんのか、それ?(オイッ!)
お金の信者は誰もがそうだ。
だが、信者になるな。
お金💴の事を意識するのは良いが、“重要な基準”にして“従う”な。
それは“矛盾”しているが、理不尽を受け入れて、自分を“曲げる”な。
お金💴より、大事なものを失いかねないぞ。
俺は“残して”ある。
だから、今、俺は自分でいられる、と思う。
派遣やバイトで稼ぎは少なくとも、理不尽をされても、俺は自由だ!(“合シリーズ”)