2008年の11月後半。
それは、この前の記事(57~60)に書いた袋井の配送作業をしている時だ。
相変わらず、ハロワや求人サイトなどで仕事を探していた俺は、求人誌(解雇された求人誌のライバル)で、来春から民営化される某保険機構の求人募集を見た。
募集職種は『アシスタント職員』。非正規である。
日雇い派遣の安定しない生活に辟易していた俺は、「非正規」は避けたかったが、(日雇いよりマシか?)と思い、履歴書を送った。
それが“例のバカ社長”からケンカ別れ(?)した直後だった。
そして、数日後、近くの年金事務所から電話で連絡が来た。面接参加の知らせだった。
俺はすぐに了承した。
年金の知識などなく、本格的な事務の経験はない。デスクワークと言えば、原稿の校正や色校くらいだった。
しかも、アシスタント職員という非正規…。
正直に言えば、期待薄だったし、俺も(ま、一応受けとくかな?)くらいの簡単な気持ちだった。
だが、前の『配送』の日雇い仕事のような、バカな現場にはいきたくなかった。
俺の気持ちは揺れていた、と思う。
で、面接へ。
初めて年金事務所に訪れた。
もう、よくは覚えてはいないが、所長と所属する部署と面談した記憶がある。
良い感触は特に無かった。
それまでも何度か面接を受けたりしていて緊張はしなかった、と思う。
だか、受かるかくしかはなかった。
面接で話した事は、パソコンの資格について、多少話した記憶がある。
一週間後、合格の連絡が来た。
俺は1度はこの話を受けたが、実のところかなり迷いがあった。
仕事は“お役所”(民営化するが…)、配属は厚生年金関係らしいが、全く想像できなかった。
だが、俺はもう30歳で、いつまでも日雇い派遣をしているわけにもいかない。
下世話かもしれないが、“定期収入💴”が見込める。アシスタント職員(非正規)の給料は、以前(求人誌)の給料より低いが、今(日雇い)よりマシだ。
先々の収入は分からないからだ。
そして、両親は某年金機構という“大看板”に圧倒され、俺に働くことを勧めた。
俺も(…このままではどうにもならんな)と思い、勤める事を決めた。
俺は久しぶりに組織(会社)に所属する事になり、日雇い派遣に“一区切り”付けることにした。
2009年、俺はこうして某年金機構に民間採用された。(民営化されたから、同期は全員一般からの採用だが…)
両親は喜び、俺も日雇いから脱した事は嬉しかった。
日雇い派遣という、「明日の仕事も分からない」という状態からは、脱した。
だが、俺はこの某年金事務所所属時に脳腫瘍を発症し、ここを辞めることになる。
…そして、全てを失い、この組織に背を向けることになるのだが。
(ちなみに俺が街中の“次郎”🏮に出入りし始めるのは、この時から)
そして、意図しなかった“日雇い派遣第3期”が始まるのだが、それは先の話。
《続く…が、この“派遣録シリーズ”、少し休載します》