鈴木篠千の日記

2度目の移籍。浜松近郊でフリーライターしてます。①日記(普段の生活やテレビの話題と社会考察) ②プロレス心理学(とプロレス&格闘技の話) ③非居酒屋放浪記 ④派遣録(派遣していた&いる時や過去の話)

派遣録61 日雇い(第2期)の終わり

2008年の11月後半。

それは、この前の記事(57~60)に書いた袋井の配送作業をしている時だ。

 

相変わらず、ハロワや求人サイトなどで仕事を探していた俺は、求人誌(解雇された求人誌のライバル)で、来春から民営化される某保険機構の求人募集を見た。

募集職種は『アシスタント職員』。非正規である。

日雇い派遣の安定しない生活に辟易していた俺は、「非正規」は避けたかったが、(日雇いよりマシか?)と思い、履歴書を送った。

 

それが“例のバカ社長”からケンカ別れ(?)した直後だった。

 

そして、数日後、近くの年金事務所から電話で連絡が来た。面接参加の知らせだった。

俺はすぐに了承した。

年金の知識などなく、本格的な事務の経験はない。デスクワークと言えば、原稿の校正や色校くらいだった。

しかも、アシスタント職員という非正規…。

 

正直に言えば、期待薄だったし、俺も(ま、一応受けとくかな?)くらいの簡単な気持ちだった。

 

だが、前の『配送』の日雇い仕事のような、バカな現場にはいきたくなかった。

俺の気持ちは揺れていた、と思う。

 

で、面接へ。

初めて年金事務所に訪れた。

もう、よくは覚えてはいないが、所長と所属する部署と面談した記憶がある。

 

良い感触は特に無かった。

それまでも何度か面接を受けたりしていて緊張はしなかった、と思う。

だか、受かるかくしかはなかった。

面接で話した事は、パソコンの資格について、多少話した記憶がある。

 

一週間後、合格の連絡が来た。

 

俺は1度はこの話を受けたが、実のところかなり迷いがあった。

仕事は“お役所”(民営化するが…)、配属は厚生年金関係らしいが、全く想像できなかった。

 

だが、俺はもう30歳で、いつまでも日雇い派遣をしているわけにもいかない。 

 

下世話かもしれないが、“定期収入💴”が見込める。アシスタント職員(非正規)の給料は、以前(求人誌)の給料より低いが、今(日雇い)よりマシだ。

先々の収入は分からないからだ。

 

そして、両親は某年金機構という“大看板”に圧倒され、俺に働くことを勧めた。

俺も(…このままではどうにもならんな)と思い、勤める事を決めた。

 

俺は久しぶりに組織(会社)に所属する事になり、日雇い派遣に“一区切り”付けることにした。

 

2009年、俺はこうして某年金機構に民間採用された。(民営化されたから、同期は全員一般からの採用だが…)

 

両親は喜び、俺も日雇いから脱した事は嬉しかった。

日雇い派遣という、「明日の仕事も分からない」という状態からは、脱した。

 

だが、俺はこの年金事務所所属時脳腫瘍を発症し、ここを辞めることになる。

…そして、全てを失い、この組織に背を向けることになるのだが。

(ちなみに俺が街中の“次郎”🏮に出入りし始めるのは、この時から)

 

そして、意図しなかった“日雇い派遣第3期”が始まるのだが、それは先の話。

 

《続く…が、この“派遣録シリーズ”、少し休載します》