西区にある遊園地(…あそこしかないが)に派遣された時、一緒に働いた若者がいた。(アドベンチャーコースター係)
彼はいろいろと話しかけてきた。
その若者は飲食店経営に興味があり、「将来、店出したいんで、その為にこうして稼いでます」と朗らかに俺に教えてくれた。
いわゆる“夢を追う若者”だった。
以前書いた“バン子”(バンドやっている派遣会場のアルバイト)と同じだ。
たまにこうして働く者もいる。
…と、思えば?
次の日、俺はゴーカートの担当に回された。
そこには年配のおじさんがいて、昨日の若者のように話しかけてきた。
おじさんは“元”飲食店の経営者だった。
半年前に不況(リーマンショック?)で、店は閉店し、「生きる為に働いてんだ…」と聞いてもないのに、語った。
自分の店を閉めた話など止めたらいいのに、おじさんはあっけらかんと話して、少し寂しそうだった。
あんまり人の話を訊かない人だったが。
このおじさんは“夢に敗れた者”だった。
こうした“元”経営者の方も、たまにいた。
俺は別に夢追う若者をバカにしたり、敗れたおじさんを嘲笑いたいのでは無い。
むしろ羨ましくさえ思う。(嫌みじゃないよ)
俺には夢などなかった。
会社をクビになり、金が無いから日雇いをしていた。
それだけだった。
夢など追ってないし、そんなものにチャレンジしてないから、敗れても、勝ってもいない…。
あるとすれば、“安定した仕事”だった。
そんな俺に若者は眩しく、おじさんには人生の悲哀が見えた。それを羨ましいというのは違うかもしれないが、“何もしていない”、“する予定さえない”俺は、酷く悲しく思えた。
安定した収入💴が欲しい。
正社員で働きたい。
それは確かに重要だし、それを目指しても悪くない。
だが、そうではない“先”を追ったり、失敗した人生もまたあったのかもしれない。
だが、俺はどこかに就職したい、と思っていた。
俺は『夢の途中』だと思っていた。
就職したら、夢を見られる、と思っていた。