鈴木篠千の日記

2度目の移籍。浜松近郊でフリーライターしてます。①日記(普段の生活やテレビの話題と社会考察) ②プロレス心理学(とプロレス&格闘技の話) ③非居酒屋放浪記 ④派遣録(派遣していた&いる時や過去の話)

プロレス心理学35 social relevance assessment(社会的適合評価)

前回の"心理的剥奪"に関連して、もう一つ陥り易い"マインドコントロール"を紹介したい。

『social relevance assessment』である。

訳せば、"社会的適合評価"というのかな?

何の事か?と言えば、『人や物事が社会的に"合っている"のか?』という事である。

例えば、"オレオレ詐欺"がある。
この詐欺は組織化され、その末端の構成員らは、組織の"上役"から『君たちのしている事は良い事だ』と心理操作されている。

詐欺を『社会的には良い事』と思い込ませるのだ。

だが、詐欺は詐欺だ。犯罪である。

こうした構成員らを逮捕しても罪の意識が無いから、なかなか罪を認めない傾向がある。
また、犯罪組織の事も話したがらない。

この時に取り調べをした警察官が言うのが、

『君のやっている事は、"人として"正しいのか?』

という問いだ。
いくら『これは良い事だ』と刷り込まれていても、詐欺をしている実行犯である彼らには、後ろめたさがある。
詐欺は詐欺であり、騙して他人の金を奪っている事には変わりない。

"人として…"と言われたら、"詐欺行為"自体を抗うことはできない。

ここを"突破口"に、警察は詐欺を立証していくのだ。

これは"犯罪を認めさせる心理テクニック"であり、良いマインドコントロール、とも言える。

しかし、だ。

『人としてどうなのか?』という質問は極めて個人差や立場によって変わる。

例えば、漁師は貴重な海産資源(魚介類)を搾取する"人として"悪意に満ちた仕事をしている。
別に魚介類を食べなくても人は生きていける。
なのに、金銭を得るため、海産資源を乱獲し、自然環境を破壊しようする漁師は"人として"間違っている!

…しかし、当の漁師らにそんな意識は無い(だろう)。
彼らは職業として、漁師をしているのみであり、別に海産物を絶滅させたくもないし、環境を破壊しようという意識も無い。
"人として…"と言われても、"人"である前に、漁師なのである。

社会において、『人として適合している人』を挙げるのはかなり難しい。

それは、人としての"常識"、"感覚"、"好嫌"にはかなりの差があるからだ。
もちろん、誰しもが"それはおかしい"という行為はある。
(犯罪、イタズラなど)

だが、そうでなければ、"人として正しい人"を具現化するのは難しい。

最近、これと似ている社会用語に、political correctness(社会的公平性)がある。
政治的・社会的に公正・公平・中立的で、なおかつ差別・偏見が含まれていない言葉や事象を考慮する事だ。

だが、そんな事が社会で可能であり、今もあり得るのだろうか?

俺の嫌いな『社会人』という言葉もそうだ。

"それは社会人としておかしい"

ならば、"正しい社会人"とはどんな人間か?

世間では、"立派な社会人"が不倫したり、パワハラしたり、汚い事をしている。

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彼らは"社会人"ではないのか?

人として正しい人を見つけるのが難しいくらい、"正しい社会人"を見つけるのは難しい。

人間には様々な側面がある。
清く正しく見える人間でも、別の誰かからは汚い人間にしか見えない。
それが人間である。

なのに関わらず、『社会人として…』と言い出す人間は、抽象的な"社会人"像や、個人的な"模範"を押し付けてくる"わがまま"な人間である。

何度も書いているが、人間は自由だ。
何をしようと、何を考えようと、何を話そうと本人の勝手だ。

それを"人として…"や"社会人として…"と規制するのはおかしい。


たが、規制しないと組織はやっていけないのも確かな事だ。

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人が人を規制し、ルールを作り、遵守させて、違反者を罰する。
そうした事で社会は"運営"されている。

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プロレスには「反則はカウント5以内」というとんでもないルールがある。
"5秒"ではない、レフェリーの"カウント5以内"である。

つまり、審判が5回カウントをする内なら反則はしたい放題だ。

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"人として…"と考えたら、むちゃくちゃな話だ。
だが、それがルールである。

決して『ルールだからOKだろ?』と言いたいのではない。

プロレスのリング内では、"人として…"や"社会人として…"が極めて通用しない。

レスラーが反則をするか、否かはその個人による。
するレスラーはするし、しないレスラーはしない。

プロレスを見初めた頃、よくレフェリーに『もっと早くカウント取れよ!』と苛立った。
明らかにカウントの最中に反則行為が進み、レスラーが汚い手でやられてしまう。
レフェリーがしっかり反則を止めさせ、時には反則負けを宣告しなければ、リング内の"平和"は保たれないではないか?

『反則をするレスラーは"人として"間違っている!』

ならば、社会人になってから出会った"人としていかがなものか?"と思える人間は皆、刑務所にブチ困れなければならない。

みんな『社会人として不適合』罪である。(と思う)

だが、残念ながら世の中にはそんな罪状(社会不適合罪?)はないし、起訴もできない。
…せいぜい名誉棄損か?

社会人としておかしい人間は、社会で叩かれるのみだ。

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人は皆、人としておかしいのだ。

なのに、それを声高にいう人間には、それを主張しなければならない"理由"があるはずだ。

そこに狭量な人間性が見えないか?
そうした指摘(人としておかしい?)などを言い張れば、他人を自分の意図したように"動かせる"とか、自分の"思い通り"に出来ると。

"オレオレ詐欺"の話はそうしたマインドコントロールを使ったテクニックの一つだが、それは良くも悪くも使えてしまう。

また、実際にあなたの回りにそう言って来る人はいないか?

その時によく考えて欲しい。


"人として正しい事"とは何か?
"社会人"として正しい事とは?

そしてそう言い放つ人物が、果たして"正しい"のか?