鈴木篠千の日記

2度目の移籍。浜松近郊でフリーライターしてます。①日記(普段の生活やテレビの話題と社会考察) ②プロレス心理学(とプロレス&格闘技の話) ③非居酒屋放浪記 ④派遣録(派遣していた&いる時や過去の話)

プロレス心理学59 "プロレス"に引きずり込め

「お前、人としておかしいよ」
「アンタ、人間として間違っているよ」

そんな事を言う人間たちに、

「お前の方が人としておかしいだろ?」
「アンタの方が間違っているだろ!」

…などと言い返したらどうなるか?

さらに、

「お金💰が欲しいんだろ?」
「勝利を得たいんだろ?」
というバカな奴に、

「金? そんなもん要らんよ」
「…別に勝ちたくないよ」

と言ったら、どうなるか?

"social relevance assessmentは(社会的適合評価)"を口にする人間は、同じ"social relevance assessmentは(社会的適合評価)"に対しては"弱い"

何故なら、『それは人として…』という人間は、その"指摘"が、あくまでも一定の組織、集団、会社の中での"人として"であり、その中でしか通じない指摘だからだ。

そこの"社会"から出てしまえば、または外から見たら、自分の方が間違っていると分かっている。

だから、同じように抗弁する人間に弱い。

"社会"とは、個人や取り巻く環境、立場によって違うのだ。

例えば、「家族の為に頑張ります!」なんていう奴は"馬鹿馬鹿しい"。
何故なら、この世に家族のいない人を探し方が難しい。
そして、家族を大事に思わない人間もいない。
「家族の為に…」なんていう奴は当たり前の事を言っているだけだ。
評価に値しない。

同じ"社会的適合評価"を主張された場合、それに対して『間違っている』『間違っていない』も、また個人の受け止め方が違う。

それが分かっているから、"social relevance assessment"を"social relevance assessment"で返されると、困る。

また、お金💰や勝利など、みんなが欲しいと思われる、"社会的適合評価"の高いはずの"基準"を欲しがらない、または拒否されると、非常に不快感を露にする。

お金、勝利をダシに他人を支配している人間は、その"ダシ"を否定されると何も出来ない。

どうにかして、他人を自分の思い通りに動かしたい。

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相手が絶対に従わざる得ない"状況"を作り出す。

「これは、マニュアル通りにやって!」

そう言われた人は従うしかない。
上司からの指示には従うしかない。

何故なら、"マニュアル"であり、"上司"だからだ。

だから、こうした発言をする人間は非常に恥ずかしい。

当たり前の話を当たり前に言っているはずだ。
マニュアルに従わない人間はいないし、上司に逆らう部下は部下では無い。

それは、まさに"social relevance assessment"であり、絶対に逆らえない(逆らい難い)立場を示してだけだ。

それを、恥ずかしくないだろうか?

たまに、マニュアルに従わない人間や、逆らう部下がいると、怒る。

恥ずかしくないのか?
駄々をこねる小さな子供のようだ。

"パワハラ"の根幹はここにある(と思う)。

しかし、だ。

社会とは往々にしてこうして築かれている。
すぐに「人として…」と言い出す人間は恥ずかしいが、それは自分自身かも知れない。
「人としておかしいだろ?」に対して、人はどう対応すればよいのか?

"social relevance assessment"に対して
"social relevance assessment"を返し、人間関係を悪くしても良いことは一つも無い。

ならば、本心を隠し「人として…」という馬鹿に

「そうです、そうです。アナタのおっしゃる通り」

と、"追従"の姿勢を見せたら良いのか?

それも良いかもしれない。
多くの人間がそうしてやり過ごしているだろうし、会社などの組織では、上の決定にいちいち反抗してくる人間は"厄介者"だ。
黙って従うのが社会人としては、"ベスト"なのかも?

だが、それで良いのか?

我慢して、本心を隠し、誰かに忖度して生きる。

馬鹿馬鹿しくないか?

だが、人としておかしくは思われたく無いし、お金は欲しい、勝利を得たい。


プロレスは"ショー"である。

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二人のレスラーがリングの上で"闘い"、観客の興奮を引き出し、『また観たい!』と思わせたい。
それが目的だ。

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対戦相手に勝つことに"意義"は無い。
勝敗さえも興奮を引き出す"舞台装着"なのだ。

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「勝ちたいだろ?」という"social relevance assessment"はプロレスラーには通じない。

レスラーにとっての勝利とは、目の前の相手に勝利を収める事ではなく、観客の声援や興奮である。

ここに、この愚かな"社会的適合評価"を乗り越えるポイントが無いだろうか?

レスラーが勝負しているのは対戦相手のレスラーではなく、その闘いを見ている"観客"である。
その観客を『楽しませることができるか、否か』である。

"当たり前"の"適合評価"を盾に権力を振るおうとする人間の"評価"自体に加わらない。

『勝ち負け』を主張する人間には、その『勝ち負け』以外を主張してやる。

金をチラつかせて、こちらを"支配下"に入れようとする人間には、金以外求め、
逆に金以外を主張する人間には、金を求める。

そして、"観客"を楽しませる。

『自分と他人』という人間関係において、"観客"とは誰か?

それは言うまでもなく、自分自身である。
まず考えるのは、『自分が楽しいか?』である。
他人の気持ちは"二の次"だ。
まずは自分が楽しいか、興奮(ヒート)するのか、を考えるのだ。

頭に来る人間がいる。
自分の目の前から消えて欲しい人間がいる。
許せない人間がいる。

誰でもいる。(俺も)

だか、1人では"プロレス"は出来ない。
プロレスは対戦相手がいて、初めて試合として"成立"する。
衝撃的な大技も

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縛り上げる地獄の関節技も、

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鮮やかな飛び技も、

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相手がいなければ、"観客"に伝わらない。

『消えて欲しい』人間は、必ず消えずに、そこにいる。
"消えて欲しい"がいる。
ブン殴りたくて、締め上げたい奴は"消えること"はない。
必ず、いる。(頭に来る馬鹿ほど消えないな…)

だから、闘う。
嫌いだから闘う。いつまでもそこにいるから闘うしかない。
居ないと"闘えない"。

『必要悪』ではない。

不必要なのだか、それは自分を取り巻く"社会"の一部なのだ。

また、『消えろ!』と思っている相手も、こちらを『消えてくれ!』なんて思っている事が多い。

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ならばもう『消えて欲しいくらい嫌いな相手がいる』という状態を"楽しむ"しかない。
相手を攻撃する。
相手から攻撃を受ける。
それを"俯瞰"で見ている自分を楽しませるのだ。

まさに"プロレス"だ。

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人間関係という社会を、対立構造を"プロレス"と見るのだ。

相手からの"攻撃"は受け止めて、"やられている"自分を演出しろ!

相手を"攻撃"するときは、それを自分が心から楽しいと思えるか、を考えて、相手を弱らせたように"見せろ"!

たまには、"負ける"ブック(台本)を引き受けるのも良いかも?

なぜなら、相手は常にいて近くにいて、また闘うことになるからだ。

たまには、場外乱闘に巻き込ませて、"凶器"攻撃をしてやれ!

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相手に"流血"させてやれ(ホントにしたらダメだよ)

何度も書いているが、プロレスはショー👯である。

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勝敗は最初から決まっている。
レスラーは観客の興奮を引き出す為に、協力して技を繰り出して、試合を"演出"する。

『現実(リアル)はプロレス(ショー)ではないよ』
と、皆は言う。
確かに現実に攻撃してくる人間は、こちらの事など"お構い無し"だ。
こちらを"消そう"としてくる。

だから、"プロレス"に引きずり込めば良い。

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プロレスは、本質的は相手を"消さない"。
相手がいるから、"プロレス"ができるのだ。その相手を消したら意味がないからだ。

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相手を、ブン殴り、ぶっ飛ばし、血ダルマにしても、"消えない"。
闘い続けるしかないのが、"プロレス"だ。

プロレスは相手を消さない。

誰かを"消したい"と思う人間は、やがては自分を"消してしまう"だろう。

誰かが高らかに言う、social relevance assessment(社会適合評価)の"社会"は、誰かの為の社会でしかない。

"社会"とは、多くの異なる"個性"を内包するべきものであり、"一定の評価"で計られるものでは無い。

誰かの"yes"は、誰かの"No"かも知れない。

自分の"評価"に合わなくても、"消して"はいけない。
反抗し続け、抗い続け、闘い続ける。
相手と膠着し、血ミドロになり、相手と闘う。
相手を殴り、殴られ、投げて、投げられる。
それを見て、観客は興奮する。
熱狂する。楽しく感じる。

それが"プロレス"だ。
自分はレスラーであり、自分が観客だ。
"主役"であり、"環境"でもある。

自分を消すな。
でも、相手も消すな。
自分が嫌う誰かも、また熱狂を求める観客でしかない。

仲良くしろ、というわけではない。

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自分の"向こう"の"コーナー"に常に、対戦相手がいる。
それが"プロレス"だ。

社会と"プロレス"しろ。
評価には、別の評価を突き付けてやれ。

ぐちゃぐちゃな"場外乱闘"に巻き込んでやれ。