人は責任が大嫌いだ。
やりたい事をやるのが、人生だ。
やりたいようにやりたい。でも、そんなに行動すると、そこには責任が生まれる。
『やりたい事をやる』
そこには、必ず責任が発生する。やりたい事をやり、他者を傷付けたり、他人の利益を損ねたらいけない。
己のした事、したい事があるなら、それにより引き起こされた損害は、それを“起こした”人に“補てん”しなくては、ならない。
そして、人はこの責任ってヤツが大嫌いだ。
『自由にやりたい』
『誰にも何も言われたくない』
『やりたいようにやりたい』
だが、そこには責任が発生する。
保障、担保、確認…。
行った事に対して、それか“自分のせい”になるのが苦手だ。
何故なら、“勝手に”やりたいからだ。
自身の自由にやっておいて、誰かに「何でそんな事やるんだよ💢」などと言われたくない。
だから責任が大嫌いだ。
そして、それを分かっているから、自分が責任を取らないようにしている。
自分が責任をとらされないように、逃げまくる。
責任は他人に押し付けたがる。
自分では責任を取らないようにする。
『…俺のせいじゃないよ』というやつだ。
『…俺が悪いわけではない』と言えるように、常に責任は他人のせいにしたがる。
社会人は“責任大王”だ。
『“コロナ”で大変なんだから、政治家、なんとかしろよ!』と同じだ。
『こんなに“コロナ”が広まったのは、政治家のせいだろ?』などと言いたくなるの気持ちだ。
“誰が悪いのか?”となったら、責任を“取りやすい”人物を探す。
何故なら、自分が責任取りたくないからだ。
悪いのは、“自分ではなく他人(政府)”としたい。
責任が嫌だから。
責任を取りたくないからだ。
責任は他人=他責が社会人の好きな事だ。
だが、悲しいかな、他責を主張すれば、するほどそれは無理な話だと、自分で分かってしまう。
つまり、(これは悪いのは、俺…)とあからさまになる。
責任=自分である。