鈴木篠千の日記

2度目の移籍。浜松近郊でフリーライターしてます。①日記(普段の生活やテレビの話題と社会考察) ②プロレス心理学(とプロレス&格闘技の話) ③非居酒屋放浪記 ④派遣録(派遣していた&いる時や過去の話)

責任大王

人は責任が大嫌いだ。

やりたい事をやるのが、人生だ。

やりたいようにやりたい。でも、そんなに行動すると、そこには責任が生まれる。

『やりたい事をやる』

そこには、必ず責任が発生する。やりたい事をやり、他者を傷付けたり、他人の利益を損ねたらいけない。

己のした事、したい事があるなら、それにより引き起こされた損害は、それを“起こした”人に“補てん”しなくては、ならない。

 

そして、人はこの責任ってヤツが大嫌いだ。

 

『自由にやりたい』

『誰にも何も言われたくない』

『やりたいようにやりたい』

 

だが、そこには責任が発生する。

保障、担保、確認…。

行った事に対して、それか“自分のせい”になるのが苦手だ。

何故なら、“勝手に”やりたいからだ。

自身の自由にやっておいて、誰かに「何でそんな事やるんだよ💢」などと言われたくない。

 

だから責任が大嫌いだ。

 

そして、それを分かっているから、自分が責任を取らないようにしている。

自分が責任をとらされないように、逃げまくる。

責任は他人に押し付けたがる。

自分では責任を取らないようにする。

 

『…俺のせいじゃないよ』というやつだ。

『…俺が悪いわけではない』と言えるように、常に責任は他人のせいにしたがる。

 

社会人は“責任大王”だ。

 

『“コロナ”で大変なんだから、政治家、なんとかしろよ!』と同じだ。

『こんなに“コロナ”が広まったのは、政治家のせいだろ?』などと言いたくなるの気持ちだ。

“誰が悪いのか?”となったら、責任を“取りやすい”人物を探す。

 

何故なら、自分が責任取りたくないからだ。

悪いのは、“自分ではなく他人(政府)”としたい。

 

責任が嫌だから。

責任を取りたくないからだ。

 

責任は他人=他責が社会人の好きな事だ。

 

だが、悲しいかな、他責を主張すれば、するほどそれは無理な話だと、自分で分かってしまう。

つまり、(これは悪いのは、俺…)とあからさまになる。

 

責任=自分である。