学生時代の話だ。
友人から「おまえはいつも“忙しそう”だな💢」と怒られながら言われた。
俺は「はあ?」とい驚いた。
その頃の俺に『忙しかった』という印象は無い。
振り返ってみると、バイト、彼女、サークル…。さらにはゼミ(学科)といろんなものに関わっていたのは事実だった。
ひょっとして、かなり忙しかったのかも?
俺にはそんな意識はなかったが…。
さらにその友人からよく、「おいっ!止まれ!💢」とか「止まってくれよー💧」と言われたりしたのを覚えている。
向こうからすると、(その頃の)俺は、常に「シャカシャカ」と動き回っていて、人の話を聞いていなかったらしい。
同時期に交際していた彼女からも同じような事をいわれたなぁ。
俺はそんな事なかったとは、思うのだが…。
今から思えば、要するに『俺の話を聞いてくれ!』とという事だったのかな?
だか、その友人の話は実に取るに足らない事(「飲み会したい」とか…)ばかりであった。
聞き流していたわけではないが、相手にするのも馬鹿馬鹿しく、そこに“溝”があった…。
俺にはそれが、“かまってくれ!”としか思えなかった。
そこに溝があった。
人は、自身と“向き合わない人”を嫌悪する。
だから、無用のトラブルを避けたいなら、他人とは向き合うべき。
嫌でも“向き合ったふり”で良いと思う。
そうしないと、この友人のように『かまって!』になる。
そして、嫌なら、徹底的に向き合ってはならない。
俺のように、“わざと”溝を産めば、ちょうど良い。