鈴木篠千の日記

2度目の移籍。浜松近郊でフリーライターしてます。①日記(普段の生活やテレビの話題と社会考察) ②プロレス心理学(とプロレス&格闘技の話) ③非居酒屋放浪記 ④派遣録(派遣していた&いる時や過去の話)

2023 1/16『昼に近い午後』の話

先日、ある人と話をして、会う約束をした。

 

仕事などの関係上、どちらともなく「昼に近い午後、くらいに…」という事になり、向こう側から、


「では、“昼”の“3時”で…」


…と、提案された。

 

俺は心の中で(…昼の“3時”?)と思った。

かなり違和感を覚えたのだ。

『昼』と言うと、俺のなかでは『11時~14時』くらいの印象がある。

“午後3時”「昼」と言ったのが、かなりおかしく思えた。そこに違和感を覚えた。


だが、その人はそうなのだろう。

別に構わない話だ。


と、同時に疑問も感じた。

(この人にとって、“午後”ってどこからだろう?)と思ってしまった。  

 

 確か、正午(午後0時)“以降”すべて“午後”のはずだ。

 俺は『午後』というと“13時~14時”という感覚があるのだ。

 よく考えてみたら、『午後19時』も“午後”である。屁理屈だが、正午(午後0時)以降は、午前0時まですべて“午後”だ。

 『昼に“近い”午後』というなら、午後3時は確かに『昼(正午)に近い午後』となる。間違いでは無い。


『昼に近い午後』の“時間区分”はかなり曖昧だし、個人差がある。認識の違いがある。


つまり、それは二つの事が言えないか?


『他人とは、自分では“分からない”』『他人には“話して、確認しないと理解できない”』である。


内心、(…何言ってんだ?)とか(どういう事だ?)と他人から感じた疑問は、本人にたずねることでしか、分からない。


俺は『人間の“元値”は変わらない』と思っているが、何が“元値”か確かめてみないと、分からない。

『昼に近い午後』が個々に違うのと同じだ。

人の気持ちなど簡単には分からないのだ。


 それこそ『オモテを撫でて、怒りを懐いてはいけない』である。


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 他人など、自分の思っていた通りではないのだから…。他人はいつも尋ねて、確めて、考えるしかない。