先日、ある人と話をして、会う約束をした。
仕事などの関係上、どちらともなく「昼に近い午後、くらいに…」という事になり、向こう側から、
「では、“昼”の“3時”で…」
…と、提案された。
俺は心の中で(…昼の“3時”?)と思った。
かなり違和感を覚えたのだ。
『昼』と言うと、俺のなかでは『11時~14時』くらいの印象がある。
“午後3時”を「昼」と言ったのが、かなりおかしく思えた。そこに違和感を覚えた。
だが、その人はそうなのだろう。
別に構わない話だ。
と、同時に疑問も感じた。
(この人にとって、“午後”ってどこからだろう?)と思ってしまった。
確か、正午(午後0時)“以降”はすべて“午後”のはずだ。
俺は『午後』というと“13時~14時”という感覚があるのだ。
よく考えてみたら、『午後19時』も“午後”である。屁理屈だが、正午(午後0時)以降は、午前0時まですべて“午後”だ。
『昼に“近い”午後』というなら、午後3時は確かに『昼(正午)に近い午後』となる。間違いでは無い。
『昼に近い午後』の“時間区分”はかなり曖昧だし、個人差がある。認識の違いがある。
つまり、それは二つの事が言えないか?
『他人とは、自分では“分からない”』と『他人には“話して、確認しないと理解できない”』である。
内心、(…何言ってんだ?)とか(どういう事だ?)と他人から感じた疑問は、本人にたずねることでしか、分からない。
俺は『人間の“元値”は変わらない』と思っているが、何が“元値”か確かめてみないと、分からない。
『昼に近い午後』が個々に違うのと同じだ。
人の気持ちなど簡単には分からないのだ。
それこそ『オモテを撫でて、怒りを懐いてはいけない』である。
他人など、自分の思っていた通りではないのだから…。他人はいつも尋ねて、確めて、考えるしかない。