鈴木篠千の日記

2度目の移籍。浜松近郊でフリーライターしてます。①日記(普段の生活やテレビの話題と社会考察) ②プロレス心理学(とプロレス&格闘技の話) ③非居酒屋放浪記 ④派遣録(派遣していた&いる時や過去の話)

2023 6/5 自由規制社会を生きる方法

人と口論になった時、「それ、何時何分何秒?💢」と“詰めて”くる人がいた。

 

“大人げない”言い方だが、俺としたら、どうしてそこまで“時間”を求めてくるのか?、が不思議に思えた。


また、やたらと“住所”を尋ねてくる奴もいる。


俺が『◯◯へ行ったら~』と言ったら、必ず「それ、どこ?」と細かな住所を尋ねてくる人がいる。

で、教えると「ふーん😒…」という、不思議な態度なる。

なんだ、それ?

何故、そこまで場所(住所)に拘る?


「それ、どこ?」

「どこの近く?」

「ああ、あそこ?」

…などということに、何の意味が?


どうして人は時間や場所“明確”にしようとするのか?

 


ここからは俺の考え(偏見)だが、人は他人の行動を“規制”したがるから、ではないか?

 

俺がよく書いている『他人は他人の勝手が許せない』である。

自分の知らない時、知らない場所で行動されるとカチン💢と来るのではないだろうか?


他人の自由(勝手)は、自分への“反抗”(否定)であり、絶対に認めたくない。

だからではないか?


他人の自由を認めたがらない人間はいる。

友達、仲間、部下、家族、夫婦、地域、組織。

それぞれの“輪”を理由に自由(勝手)を規制する。

(そう書いている俺自身も他人の自由を認めているかなあ?)


だが、『他人の自由を認めて、求めよう』という話ではない。

 

他人の勝手に対し、規制したり、嫌悪感を感じるのを社会では“当たり前”として、我慢していくべきではないか?

誰もが『他人の勝手(自由)が嫌い』なのだから、そうなってしまう💦

 

こんなヤツはどうしたら良いのか?

俺の拙い人生経験から導いた対処方法がある。

 

いつでも、誰とでも、どこに行くのもそれは個人の自由だ。

だが、それを“規制したくなる”のが社会、と認識しておこう。

「何時何分何秒?」「それ、どこ?」と尋ねられたら「また来やがったな?」と思っておこうか?

(…コイツは他人の行動が許せないのだな)と思っておこう。

別に悪いことをしていないのだから。