人と口論になった時、「それ、何時何分何秒?💢」と“詰めて”くる人がいた。
“大人げない”言い方だが、俺としたら、どうしてそこまで“時間”を求めてくるのか?、が不思議に思えた。
また、やたらと“住所”を尋ねてくる奴もいる。
俺が『◯◯へ行ったら~』と言ったら、必ず「それ、どこ?」と細かな住所を尋ねてくる人がいる。
で、教えると「ふーん😒…」という、不思議な態度なる。
なんだ、それ?
何故、そこまで場所(住所)に拘る?
「それ、どこ?」
「どこの近く?」
「ああ、あそこ?」
…などということに、何の意味が?
どうして人は時間や場所を“明確”にしようとするのか?
ここからは俺の考え(偏見)だが、人は他人の行動を“規制”したがるから、ではないか?
俺がよく書いている『他人は他人の勝手が許せない』である。
自分の知らない時、知らない場所で行動されるとカチン💢と来るのではないだろうか?
他人の自由(勝手)は、自分への“反抗”(否定)であり、絶対に認めたくない。
だからではないか?
他人の自由を認めたがらない人間はいる。
友達、仲間、部下、家族、夫婦、地域、組織。
それぞれの“輪”を理由に自由(勝手)を規制する。
(そう書いている俺自身も他人の自由を認めているかなあ?)
だが、『他人の自由を認めて、求めよう』という話ではない。
他人の勝手に対し、規制したり、嫌悪感を感じるのを社会では“当たり前”として、我慢していくべきではないか?
誰もが『他人の勝手(自由)が嫌い』なのだから、そうなってしまう💦
こんなヤツはどうしたら良いのか?
俺の拙い人生経験から導いた対処方法がある。
いつでも、誰とでも、どこに行くのもそれは個人の自由だ。
だが、それを“規制したくなる”のが社会、と認識しておこう。
「何時何分何秒?」と「それ、どこ?」と尋ねられたら「また来やがったな?」と思っておこうか?
(…コイツは他人の行動が許せないのだな)と思っておこう。
別に悪いことをしていないのだから。