鈴木篠千の日記

2度目の移籍。浜松近郊でフリーライターしてます。①日記(普段の生活やテレビの話題と社会考察) ②プロレス心理学(とプロレス&格闘技の話) ③非居酒屋放浪記 ④派遣録(派遣していた&いる時や過去の話)

悪は何処に?

古代中国の思想家、荀子は『人は悪』として、それゆえ、『法による規制』を訴えた。

 

人間の本性は「悪」であり、利己的差を認め、君子はその本性を後天的努力(すなわち学問を修めること)によって修正して善へと向かい、統治者となるべきことを勧めた。


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人間の本質は“悪”である。

 

そう定義するから、人は人を正そうとする。

法律、規則、規範(礼)で、人は悪を抑え、生命の安全を確保し、安定を得て、困窮から抜け出す事が出来る。

 

『礼は宇宙の理(ことわり)である』

 

俺が嫌いな考え方だ。

礼が宇宙の理がどうかはともかく、そういう風に規定しないと、礼(規範)は“裏打ち”できないのだ。

 

何故なら、人間は自由だ。

何をしようが、何を信じようが、何を欲しがろうが、その人の勝手だ。

 

自由だからだ。

だが、自由だからといって、他人を傷付けたり、損害を与えたりするのは違う。

違うから、他人との関係を鑑みて、自身の自由を求める。

それが人間社会の常ではないのか?

だから、礼(規範・モラル)がある。

 

自由とは悪だ。

 

それを“宇宙の理”などと言うのが、馬鹿馬鹿しい。

自身の自由を押し通したい“詭弁”だ。

他人を自分に従わせたい強要だ。俺は礼儀を主張する馬鹿を心の底から軽蔑する。

 

自由を欲しがる奴は、他人の自由を認めない。

自分が自由でいたいからだ。

バーカ!

 

人からすると、自分以外の自由(勝手)は悪でしかない。

ならば、交渉しかないだろ?

 

他人と関わる事で、“妥協点”を見つけろ。

 

それが、できない馬鹿が『モラル』とか『宇宙』とか『わきまえる』とか言い出す。


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腰抜けだ。

そういう風にしか、他人と関われない臆病者だ。

臆病者(悪)よ、さらば👋👋👋