この時期、磐田にあるショッピングモール内にある(あった?)お好み焼きの店にも派遣された。
俺は、客商売は苦手(元販売員なのに…)だったが、ここの仕事のメインはホール作業より、厨房での皿洗いだった。
はじめはかなり戸惑いがあった。
しかし、それなりに“客あしらい”出来ていたかもしれない。
この頃は、まだ病気(脳腫瘍)になる前で、俺の滑舌は滑らかだった(はず)。
そして、ここの社員さんやバイトは何故か、乗りが良く、俺みたいなヤツにも気軽に声をかけてくれた。
それも良かった。
店は繁盛していて、金土曜の夜は大騒ぎだった。
そこに俺が派遣されていた。
お客が食べた後に、その後片付けをして、厨房で洗い物。
たまにお客さんに注文を聞いたりして、それを“キッチン”に伝え、また荒い場に戻る。
日雇いの俺に出来るのは、それくらい。
文句はなかったし、コアタイム(繁忙時間)は大変だったが、何とか食らいついていた。
夕方からの勤務だが、それでも良かった。
俺と日雇いが一人、二人といた記憶がある。
それなりに楽しく働けた。
ただひとつ、困るのは、『広島風お好み焼き』だったので、お客が、俺を広島出身者と勘違いしてしまう点だった。
よく「今日、(広島)カープ、勝ったなー」とか、「新井、ホームラン打ったなー」などと言われても俺はどうリアクションして良いか、分からなかった。
思わず「俺、地元(浜松)出身ですが?」と言いたかったが、何故?などと尋ねられたら面倒なので、放っておいた。
だから、厨房でよく皿洗いをしていたが、厨房では忙しいのもあるのか、社員らやバイトがよく愚痴っていた。
「ソース、無ーぞ!、クソがっ!」
「またお好み焼きかよっ、なんでだよ💢(?)」
「今、何人待ちだ!」
そういう喧騒の中で、ごちゃごちゃと言われながら働いていたのは、実のところ、面白かった。
前にしていた宅配寿司屋(の日雇い派遣)のように「何で?」と俺に関与して来ないので、そこが良かった。
今から思うと、求人誌編集部ですっかり馴れてきて、プライベートを含め、かなりそっちに依存していて、この頃は派遣が“はけ口”になっていたのかも?
違った事ができて、お金👛(3000円未満)まで貰えて、俺にはちょうど良かったのかもしれない。
どうも俺は他人との距離感の取り方が、人より離れた方が良いみたいだ。
この時、そんな事を自覚できた。