鈴木篠千の日記

2度目の移籍。浜松近郊でフリーライターしてます。①日記(普段の生活やテレビの話題と社会考察) ②プロレス心理学(とプロレス&格闘技の話) ③非居酒屋放浪記 ④派遣録(派遣していた&いる時や過去の話)

派遣録 30 家電配送にて…。

こうして、俺は思ってもいなかった『日雇い派遣』をメインとして働くことにした。

正社員昇格の時に『こんな会社辞めて、日雇いで食っていく!』などと思ったが、まさか本当にそうなると思っていなかった。

バカである。

 

この頃、以前お世話になっていたグッド○イルは無くなったので、別の派遣会社に登録した。

 

主にやっていたのは、

 

家電宅配

倉庫ピッキング

イベント手伝い

模擬試験官

 

…だった。

後は、“第1期”にいった『広島風お好み焼き店』とかにも、偶然だが派遣されたりしたなあ。

 

グッド○イルの頃に知り合いの日雇い派遣者らはもうほとんど見なくなった。 

 

だが、“ゴリさん”(仮名)とは何故かよく顔を合わせたりした。彼は潜在的に日雇い業に頼って生活費を稼いでいるらしく、こちら(別の派遣会社)に流れてきたようだった。

 

他の連中(“小峠”、“丸さん”など)は見なくなった。どこかに就職したのだろう。

 

この時期の日雇いが俺は1番辛かった印象がある。

仕事が少なく、選べない。そしてキツいところばかりだった。

 

特に家電配送。

某大手量販店からの依頼で家電を個人宅に配送する仕事。

俺はその助手だった。

 

だが、この配送担当のドライバーがいつも元ヤンキーの性格が悪い人間で、毎回怒鳴られた。

そして何故か、いつも配送助手の日雇いは、俺一人だった。

 

「馬鹿ヤロー、そこじゃねーぞ!」

「何で、そこに置くんだよ!💢」

「早くしろよ!💢」

 

俺の性格上、数度は我慢できるが、これが毎回だと爆発💥したきなる。

だが、これしか稼ぐ仕事の無い俺は我慢した。

相当ストレスの貯まる日雇いだった。

 

俺にも我慢の限界というものがある。

だが、必死にこらえた。本当にこらえた。

金が無いからだ。全ては金の為…。

何だか、今まで働いていた工場(2023)での俺と似たような気持ちだったな…。

 

金の為に働いているのみんな同じ。

俺もそうだ。

金の為なら我慢できるのか?

 

だが、どこまで堪えたら良かったのか、分からなかったのも事実だ。

 

これが日雇いだから、我慢できたのかも?

基本、1日やって、すぐに現場から離れた。

で、他に仕事がないのでまた応募した。

で、怒鳴られ、嫌になる。

この繰り返しだった。

 

そのうちに本格的に嫌になり、この派遣を断るようになった。

ずっと続いていたら、俺は爆発💥していたと思う。

 

他にもドライバーはいたが、この現場のドライバーは揃いも揃ってどうしようもない連中だった。(言えなかったが…)

 

元ヤンキードライバーの連中は、配送中には自慢話や愚痴話ばかり終始し、とにかくつまらなかった。

自己顕示欲が強く、俺などから「さすが」と言われたい雰囲気が濃厚だった。

苦痛だったが、俺は我慢した。

そして怒鳴られた“お返し”に、そうした自慢話や愚痴に対し、「ふーん」とか「…へー」と愛想無く答えていた。

こう言うと、彼らは、あのクソ部長の機嫌が悪くなったように、明らかに不機嫌になった。

ざまあみろ、と内心では思っていた。

そして、こんな奴等と仕事している自分が悲しかった。

 

仕事って、もっと楽しかったよな?

 

…と思っていた。

怒鳴られて、自慢や愚痴を聞かされ、これなら求人誌にいた頃と変わらない。いや、向こうの方がマシとさえ思えた。

なので、断るようになった。