鈴木篠千の日記

2度目の移籍。浜松近郊でフリーライターしてます。①日記(普段の生活やテレビの話題と社会考察) ②プロレス心理学(とプロレス&格闘技の話) ③非居酒屋放浪記 ④派遣録(派遣していた&いる時や過去の話)

派遣録 33 親父の働く“背中”を見ていた。

この頃(2008)、俺は日雇い派遣で喘ぐように働いていた。

相変わらず日雇い派遣の社員は、現場で人扱いされず、酷いものだった。

 

どこの現場も人が多く、すぐに人員が埋まった。空きが出なかった。

リーマンショックからの不況はなかなか日本経済を元には戻さず、俺のような下流労働者は、ひたすら現場で怒られ、コキ使われていた。

そして、文句は言えなくなっていった。

 

俺は相変わらず再就職先を探していたが、全く見つからなかった。

 

この時期、父に定年退職の話が出ていた。

父のいた車メーカーも厳しかったのだ。

 

だが、親父はその退職勧告を断り、子会社への出向を選び、本社から南区の別会社に異動した。

 

無職で日雇いを続けていた俺は、そんな父に「まだ働くのか?」というような質問をした。

長男の俺がこんな状態だから働くのかと、俺なりに反省していたのである。

 

そうすると、親父は「…辞めても、暇だからなー」と笑って「働けるうちは、まだまだ働くかな?」と言っていた。

親父はもう40年以上、働いていた。

働くことが当たり前になっているようだった。

…もしくは、俺に気を使った?

 

俺は、子供の頃から働く親父の姿を見ていた。

俺が学校から帰ると、夜勤に向かう親父と行き違いになった。

「…行ってくる。勉強しろよ」なんて俺に声をかけた。

海外工場の指導員なり、度々と海外へも行った。

そうして家族と俺を育ててくれた。

 

親父は必死に働いていた。

働く事は、親父のすべてであり、家族の為、ただそれだけの為に働いていた。

そして定年を過ぎても、まだ働こうとしていた。

 

そんな父を見て、俺は自分の事が嫌になっていた。

働いていないわけではなかった。毎日日雇いでボロクソになりながら働いている。

だが、まだ親父を働かせているのは、俺ではないか?

親父はいつまで、俺などの為に働くのか?

 

そう思うと、心の底から自分が情けなかった。

安定した仕事に就いて、安心させたかった。

 

そして、同時に「俺は親父のように、ずっも働いていたい」とも思った。

働くことは、それが“普通”であり、生きることであり、当たり前な事だ。

親父がそうしてきたように、人はひたすら働くしかない。

給料が高かろうが、低かうが、怒られようが、誉められようが、楽しかろうが、苦しかろうが働いていくしかない。

 

この数年後、脳腫瘍で全く働けなく事を俺は知らない…。

 

日雇い派遣の現場は確かに酷かった。

小馬鹿にされ、コキ使われ、文句を言えばすぐに“排除”された。そしたら収入はゼロだ。

 

この時期(第2期日雇い派遣時代)の事は今も思い出したくない。

未だに頭にきている現場もある。

誘われても、二度と行かなくなった現場もある。

 

だが、俺は“働きたかった”。とにかく働きたがった。

 

別に現場はどこでも良かった。排除されたら、また探して働けばよい。

労働は労働だ。文句あるか?

 

定年退職を拒否した親父のように、場所を変えて働けば、それで良い。文句あるか?

 

俺がそれでいいなら、良いだろ?

 

 

その時、毎朝、出向先の子会社に向かう親父の背中を見ながら、(俺も“働けるうちは働こいう、働きたい”)と思っていた。

諦めずに就職先を探そうとも思った。

 

俺をクビにしたあの会社にはまだ怒り💢があったが、それでも働かなくてはならない。それは悪い事ではない。親父のように場所を変えても働けるのなら、働けば良い。

 

 

 

 

 

そんな親父は、それから変わってしまった、と俺は思う。(2008~)

 

この数年後、親父はその子会社を辞め、本格的に定年退職した。

俺は某年金機構に採用されたが、脳腫瘍を発症し、さらに地獄を這う生活に送ることになり、親父をまた心配させ、迷惑をかけた。

 

そんな親父は、さらに数年はシルバー人材で働いていたが、2019年、浜名湖で溺れて病院に運ばれ、その頃から体調を崩して、シルバー人材も辞めた。お漏らしが増えた💦

 

そして、退職時にもらった退職金の半分をギャンブルと煙草で使い果たした。

ここ最近は俺の顔を見ると、「…千円、貸してくれ」(返すことは一度も無い…)というようになり、断ると子供のように拗ねるようになった。

 

そんな親父を見るのが、本当に嫌だった。

働き者だった親父が、息子に小銭👝をせびり、もらえないと拗ねる…。

親父は、退職金を使い果たし、どうにもならなくなっていた。

 

俺は、仕方なく、小遣い程度に金を渡していた。定年退職し、シルバー人材も辞め、体調の悪い親父を憐れに思っていたからだ。

 

親父はその金で煙草などを買い、喫煙を続けた結果、去年狭心症💔を患った。

オート(レース)にも行っていただろう。そして、そこでまた煙草🚬

 

病気になっても仕方ない…。

 

それでも煙草🚬が止められず、今年には悪性のリンパ癌になり、今、精密検査を受けている。

 

親父はもう長くはないだろう。

考えたくないが、覚悟はしないといけない。

身体は痩せ、オムツをしている。

 

家族の為に働き続け、最期の最期は癌で…。

これが働く男の最期の姿か?

ギャンブルと煙草の果てに、下の世話をされ、病気になる…。

これが親父の最期なのか?

 

だが、誰もが働くしかない。

俺もそうだ。

どんな最期になろうが、ひたすら働かなければならない。

あの親父の背中のように働いていなければならない。

それは絶対に変わらない。

 

俺に小銭をせびり、隠れて煙草を吸い、『暇だから』と退職金💴をギャンブルにつぎ込み、息子や家族に呆れられ、癌になる。

 

…計画性の問題もあるが、それでも働かなければならない、と親父は教えてくれる。

 

親父の最期は悲劇になるかもしれない。

たが、親父は今も背中で言っている。

「働けるならば、死ぬまで働け」と…。

 

例え、今の会社を辞めても俺は、細々とでも働きたい。