鈴木篠千の日記

2度目の移籍。浜松近郊でフリーライターしてます。①日記(普段の生活やテレビの話題と社会考察) ②プロレス心理学(とプロレス&格闘技の話) ③非居酒屋放浪記 ④派遣録(派遣していた&いる時や過去の話)

2023 12/21 誰かを救う為に…。

『アンビリーバボー』で、


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クリスマスにお金を配る“シークレット・サンタ🎅”の話を観た。


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ただただ、他人を“助けたい”というだけで、見ず知らずの他人にお金(2000~200000円)を配っていたらしい。

 

理由は、過去にお金がない時に、2000円の食事代を出してもらい、救ってもらったという記憶があったなら。

それだけで、この無償の慈悲行為を行っていたらしい。

 

俺は思った。

誰かに酷いことをされたら、“やり返したく”なる。

そして、逆に“良いこと”をされたら、他の人にも“してあげたく”なる。

 

俺はこのブログで、常々『生活が苦しい』『金が無い』とか、酷い態度をされた“連中”に怒りをぶちまけている。

 

だがそれは、恥ずかしながら、『誰か助けてよ~💧』という“甘え”だ。

他人に依存するバカを嫌悪しながら、俺は俺自身が似たような事をしている。

我ながら馬鹿馬鹿しい。

 

そして、『誰かに救われたい』などと思いながら、こういう“良い話”を観ると、『俺もこうした“善行”をしたい』と思う。

だが、それは『俺が“してもらったら”』と都合の良い考えが付く。

 

本当に愚かだと、自分自身に思う。

他人と繋がっていない、繋がりたくないくせに、『親切にされたい』『助けてもらいたい』は“ムシが良すぎる”

しかも“無条件”で…。

 

俺はこうした『(無条件で)どうにかしてよ~』とか『助けてよ~』とお願いされるのが、大嫌いだ。学生時代、求人誌、某年金事務所…。

俺からすると、“仕事以外”で頼まれる事があると、非常に嫌悪感があった。

 

特に「…友達だろ?」とか「俺はお前より偉い」という態度をとってくるの、内心カチン💢と来ていた。(…自分でやれ💢)と思っていた。

 

…それを俺は他人に認めてないか?

あの“バカ”と同じような考えではないか?

何も動かず「頼むよ~」と“懇願”してくる“バカ”どもと変わらない。

 

他人から、何かしら恩恵を受けたいと思うなら、自分から“動く”しかないだろ?

 

このラリーさんというシークレット・サンタ”🎅のように、見返りを求めない無条件の奉仕、困っている人を救うような態度が自分を豊かにするのではないか?

 

助けてくれ💦、苦しいんだ💦、貧しい💧…。

 

そりゃ、みんなそうだ。

俺だけじゃないよ。

ならば、“まず”は“お前”から“動かない”とな。

こんな子供みたいな事を、今さら思うなんてな。

 

そんな気分になってきた…。