『アンビリーバボー』で、
クリスマスにお金を配る“シークレット・サンタ🎅”の話を観た。
ただただ、他人を“助けたい”というだけで、見ず知らずの他人にお金(2000~200000円)を配っていたらしい。
理由は、過去にお金がない時に、2000円の食事代を出してもらい、救ってもらったという記憶があったなら。
それだけで、この無償の慈悲行為を行っていたらしい。
俺は思った。
誰かに酷いことをされたら、“やり返したく”なる。
そして、逆に“良いこと”をされたら、他の人にも“してあげたく”なる。
俺はこのブログで、常々『生活が苦しい』『金が無い』とか、酷い態度をされた“連中”に怒りをぶちまけている。
だがそれは、恥ずかしながら、『誰か助けてよ~💧』という“甘え”だ。
他人に依存するバカを嫌悪しながら、俺は俺自身が似たような事をしている。
我ながら馬鹿馬鹿しい。
そして、『誰かに救われたい』などと思いながら、こういう“良い話”を観ると、『俺もこうした“善行”をしたい』と思う。
だが、それは『俺が“してもらったら”』と都合の良い考えが付く。
本当に愚かだと、自分自身に思う。
他人と繋がっていない、繋がりたくないくせに、『親切にされたい』『助けてもらいたい』は“ムシが良すぎる”
しかも“無条件”で…。
俺はこうした『(無条件で)どうにかしてよ~』とか『助けてよ~』とお願いされるのが、大嫌いだ。学生時代、求人誌、某年金事務所…。
俺からすると、“仕事以外”で頼まれる事があると、非常に嫌悪感があった。
特に「…友達だろ?」とか「俺はお前より偉い」という態度をとってくるの、内心カチン💢と来ていた。(…自分でやれ💢)と思っていた。
…それを俺は他人に認めてないか?
あの“バカ”と同じような考えではないか?
何も動かず「頼むよ~」と“懇願”してくる“バカ”どもと変わらない。
他人から、何かしら恩恵を受けたいと思うなら、自分から“動く”しかないだろ?
このラリーさんという“シークレット・サンタ”🎅のように、見返りを求めない無条件の奉仕、困っている人を救うような態度が自分を豊かにするのではないか?
助けてくれ💦、苦しいんだ💦、貧しい💧…。
そりゃ、みんなそうだ。
俺だけじゃないよ。
ならば、“まず”は“お前”から“動かない”とな。
こんな子供みたいな事を、今さら思うなんてな。
そんな気分になってきた…。