「鈴木さんって、休みの日、何してます?」
仕事中、一緒に働く“瀬戸”さん(仮名)から、そんな風に訊かれて、ドキリとして、考えてしまった。
ここ最近、俺には時間と多少の“金銭的”の余裕👛ができた。
親父の介護は一段落。今週受けたPET検査の結果はまだだが、去年までの危ない状態は脱している。
そして、俺がこの“食品工場”にバイトとして加わり、1ヶ月が経った。
先日、上司の社員さんと面談し、2月以降の雇用継続が決まった。
“内心ヒヤヒヤ💦”していたが、大丈夫だった。
ここに“居ても”良いらしい。安心した(笑)🤭
再就職手当も申請通り貰えた。
来週には、“午後から”のバイトの面接を受ける予定。
とりあえずだが、日雇いも来週末までは決まっている。
また浜松インター付近の倉庫で仕分け仕事だ。無いよりマシ。それに短時間作業なので問題は無い。
週末には引きこもり中の甥っ子に会い、“復活”への手応えがあった。
また“ライターワーク✏️”も復活。
ちょこちょこだが、継続していくつもりだ。
順調ではないが、俺の日常はようやく平穏になりつつある。
去年、“あの工場🏭️”に再就職して“偉い目”に会い、逃げ出してから約半年。俺は何とか“持ち直した”感がある。
…この新しい再就職先の話は、後日じっくりと書こう。
…と言っても、今の俺は“エッセイ”にも書いた『40過ぎのおじさんフリーター』であり、“デラシネ”(根なし草)である。
浜松市内で喘ぐように働く🏢👨💼💦貧乏人には変わらない。
奥山さんからそんな風に尋ねられた俺は、答えに困った。
ここ最近の“休み”は無いに等しく、介護(実家の用事)か、日雇い仕事。去年まではそれに再就職活動が加わり、身動きできなかった。
今は、たまに浜松の街中に出て、飲み歩き🍶&オラレ(競艇)。…という、あまり誇れない休日を過ごしている。
奥山さんには「最近は、ダラダラしてますねー」と誤魔化しつつ(?)、苦笑いしつおいた。
仕事ご終わり、外に出たら、今日は似顔絵なのにかなりの陽気。春のようだ。いや、春の気配が濃厚だ。
今日は日雇いは入れていない。
親父の介護も無し。
予定は無い。
俺は今年に入ってから気になっていた事を確かめたくなった。
それは、ここでも書いた『以前勤めていた求人誌会社の倒産』である。
本当に瞑れたのか?
それを確かめたくなった。
解雇された後、本社の前は、何度か、通りすぎたりしていた。
だが、俺の所属はこの会社の子会社(分社?)。
あそこはどうなったのか?
俺はずっと気になっていた。小説(“合シリーズ”)でも分かるように、俺は気になると調べたくなる質がある。
暇なので、約十年ぶりに元いた子会社に行ってみることにした。
と言っても、中に入るわけではない。
どうなったのか、外から眺めるつもりだった。
時刻は午後5時前。
夕闇が迫るが、今日はいつもの寒さが無い。春か?
懐かしい通りを歩いて、子会社のあった坂を行く。
“子会社”などと書いたが、そこは外見は普通の民家でだった(当時は…)。
ところが見つからない…。
全く、無い。あれ?
俺、道間違えた?
そんなはずがない。何度も車🚙や原付🛵で曲がった角を確かめながら曲がる。
確か、隣には垣根で、囲まれた空地があったはずだ。野良猫の棲みかになっていた記憶がある。
そこは既になかった。
何と、真新しい民家が建っていて、隣の空地もまた民家になっていた。
俺が働いていた、あの子会社は跡形も無く消えていた。
俺のいた求人誌の会社は本当に潰れたらしい。
それを体感した。
“元子会社”からの帰り道。
俺の中から、怒りや哀しみ、恨みが掠れていく感じがした。
楽しい思い出もある。
頭に来たことも多い。
良くしてもらった事も多い。
そして、あっさりと“切られ”た。
未だに許せない人(本田部長=仮名)もいる。
お世話になった人(トリさん)もいる。
心配な人もいる。
顔も見たくない馬鹿(中やん、稗村)もいる。
それらが“消えていく”ような気がした。
よく渡っていた歩道橋からバイパスを眺めていたら、虚しい気持ちになった。
“あの会社”は本当に“消えた”のだ。
ネットの話は本当だった。
俺は何に怒り、何に拘っていたのか?
虚しさがこみ上げてきた。
本田(クソ)部長は、どうなった?
製作部のクソ部長は。
その製作部の面々は?
子会社の皆は?
山木さん(仮名)は?、牧野さん(仮名)は?
気になってきた。
あの会社が消えても、働いていた人の人生は消えない。
その後、浜松の街中に出てきた。
またオラレ(競艇🛥️)で小銭を失い、モール街を彷徨っていたら、急にアルコールが欲しくなってきた。
で、いつものファミレスで飲んでいる(白ワイン🍸️+チキン🍗+ソテー)
今日、あの“元”子会社が“跡形もなく消えた”事を見て、俺の中で“何かが”間違いなく終わりを告げた。
そして、思った。
(…これを書かなくては、ならない)
組織は消える。
理由もある。意義が無くなれば霧散する。
だが、人は消えない。
俺がそうだったように、組織は消えるが、そこにいた人は消えない。また別の人生が始まる。
それだけだ。
だから、俺は書かなければならない。
かつて、俺が“そこ”にいて、熱く(?)働いた痕跡や、他人や組織と争った記憶は確かだ。
それを残さなければ、ならない。
それが俺からの“十点鐘”(10カウント)だ。
“消えた”モノに花束を。
戻らない時に惜別を。
新たな“時代”に墓碑を。
“旅立ち”はいつも孤独だ。
俺の人生はまた少し前に進みそうだ。
今書いて、完成間近の“談合”(シリーズ10)を書き直そうか?
話が変わってきた?
時は動いているんだよ(笑)
俺はようやく過去から“旅立てる”のか?
だから、書こう。
ファミレスで飲んでいたら、明日の日雇いが決まった。
忙しくなりそうだ…。
クソがっ!✴️