テレビ静岡の土曜ドラマ。『絶対正義』を観ている。
法律に"絶対"従う高規範子(たかきのりこ)が、自分の周囲にもその正義で縛り付ける話だ。
正義(法令)を異常なほど守ろうとする彼女に振り回される周囲の戸惑いが、愉しい。
俺は彼女の気持ちがわかる。
何故なら、法律は絶対だ。
『法律を曲げて良い』なんて話は無いのだから、法律を"盾"にする限り、「それは法律違反よ」という主張は十分理解出来るのだ。
正当性の主張には、3つがある。
1、ポリテカルコレクトネス(政治的整合性)
つまり、『政治的に合っているか?』
2、social relevance assessment(社会的適合評価)
『社会的にそれは正しいのか?』
そして、
3、コンプライアンス(法令遵守)
要するに『法律的に合っているか?』であり、このドラマの主張はこれだ。
上の二つと『コンプライアンス』が少し違うのは、法律は明確な"規定"がある事だ。(解釈の差があるが…)
政治的、社会的は、多少流動的であり、個人、組織で捉え方が変わる。
だが、法令は絶対に守る"ライン"があり、そこを曲げる事はできない。
法令を主張する限り、それは絶対正義だ。(だから利用する)
先日の放送で法律を振り回す規子に、ついに友人らが怒るシーンがあった。
「法律って、人間を追い詰めるものなの!」
この"反論"にも頷ける。
『法律だから…』と言われたら従うしかない。
だが、それを突き詰めたら物凄く"生き辛い"。
『ズル賢い』と言える。
反論された規子はどうするのか?
俺は密かに興味があった。
『法律を遵守したいなら、どうぞ。でもそれをこちらに押し付けないで』と言われたら、どうするのか?
だが、彼女はそれを"スルー"していた。
正義を声高に叫ぶなら、周囲との軋轢は避けられない。
それは、法律を突き詰めたら必ずはみ出てしまうからだ。
"100%法律は守るべき"だが、"100%法律を守るのは難しい"からだ。
『そんなに法律を主張したら生きにくいだろ?』という批判に対して、主張している人間は、受け止めないといけないのでないか?
『私はこんな人間だから…』
と、他者を"避け"たら、意味が無い。
(そんなシーン無かったが…)
地方出版社にいた頃、このコンプライアンスをアピールするクライアントが多かった。(2006年あたり)
だが、一皮むいたら、『❓』となるクライアントが多かったのも事実だ。
「細かく言ったら何も出来ないよ…」
そんな声も聞いた。
おかしいな、と思った。
それは『法律なんて守らなくて良い』と言い張れ無いのなら、それは『罰せられるべき』だからだ。
それを否定したら、我々は何を信じたら良いのか?
個人的、組織的に変わる"法律"ならば、法律ではない。
社会的に"不安定"なものを信じる事など出来ないからだ。
このドラマの続きが少し気になるな。