NHK大河ドラマでは完全にスルーされたが…今川家の武将・徳川家康が織田家に寝返った本当の理由(プレジデントオンライン) https://news.yahoo.co.jp/articles/4977491219442125e6bad521cdc9cb15786aa75b
静岡にも大河ドラマ館オープンしたらしい。
春風亭昇太さんや広瀬アリスさんが来てオープニングイベントに来ていた。
浜松も先日にプレオープンした。(入場券800円)
…まだ言ってない💧
静岡は室町後期、今川館があったらしい場所。(おそらくだが、家康が駿府城を建てた下に遺構がある?)
その家康は何故、今川家を裏切ったのか?
上の記事には…、
今川氏と同盟関係にあった北条氏は、桶狭間の戦いから三カ月後にあたる八月より越後の長尾景虎(上杉謙信)による関東侵攻を受けていた。翌四年(一五六一)三月には居城小田原城での籠城戦に追い込まれる。
今川の後ろ楯である北条が越後上杉氏に攻められ、動けないのを見て、武田(信玄)の圧力から、今川(氏真)を“見限る”しかなかった…といのが定説。
これは義元亡き後の今川家には大きかった、という事。義元の後継者で家康(元康)の幼なじみの氏真が、すぐに“仇討ち”に出なかったのが大きかった、と言われている。
俺はこの説に少し違和感がある。
確かに家康は桶狭間直後、三河の織田方の城を攻めているし、氏真に仇討ちの催促をしていて、その後、逆に今川方勢力の排斥に動いている。
これは、今川→織田への鞍替えに見える。
しかし、家康はこれを望んでいたのか?
“空き城”になった岡崎城になかなか入らなかった家康。
妻子(瀬名&亀姫&信康)を人質にされていた家康。
家臣から“期待”されていた家康。
養父、義元からも期待されていた家康。
幼なじみの五郎(氏真)らと仲が良かった家康。
家康に今川を見限る気持ちはなく、“動けない”今川家に代わり、自分が引っ張っていこう、としたのではないか?
彼の若い頃からの性格からすると、そう思考しそうな気がする。