武藤敬司、デビュー前に道場で披露していた「月面水爆」…連載「完全版さよならムーンサルトプレス伝説」〈13〉 : スポーツ報知
本日(2/21)はプロレスラー武藤敬司の引退の日である。(東京ドーム)
実のところ、俺は武藤敬司というプロレスラーがあまり好きではなかった。
“高田信者”(UWF信者)“だった”俺からすると、“あの1995年 10・9”でUインター(と高田とUWF幻想)を“葬った”からではない。
(高田と武藤はそこそこ仲が良い…)
あの同時(1995年)、“UWF=リアル”という“図式”を信じたい(信じたかった)当時の俺からすると、アメリカナイズされた武藤のプロレスそのものや、その考え方が、どうにも好きになれなかった。(新日本は観ていたけどね…)
武藤はお客を“スイング”(興奮)させる為なら、何でもする。
そのやり方も心得ている。
だから、“10・9”でも“ドラゴンスクリュー→足四の字固め”という誰も思い付かない“ムーブ”をした。
俺は何度も書いているが、こんな技の連携を出せるのは武藤だけだ。
まさに“天才”と思える。(当時は、試合後、付き合っていた当時の彼女の家でぶちキレていたなぁ)
数年前、「足が限界だから、ムーンサルトプレスはもう放たない」と必殺技の封印を宣言しなから、その後の試合で出した事があったよね?
“掟やぶり”はプロレスの常だが、これはさすがに厳しくないか?
だが、そうした事をするのが、武藤で“ムーンサルト解禁”は批判されたが、観客を“沸かす”というプロレスの最大の“目標”へのアプローチの仕方を一番分かっている“プロレスラー”だろう。
ちなみに、その“ムーンサルトプレス”だが、武藤は既に若手の頃から体得していたらしい。
佐野さんが証言した武藤が持つ抜群の運動神経。その象徴が「ムーンサルトプレス」だった。
「ムーンサルトプレスも練習で武藤が“こんなのできるかな?”って言って、試しにやったらできちゃっていたんです。それは、武藤がまだデビューする前でした」
デビュー5か月後に試合で初公開した「月面水爆」だったが、佐野さんは、それ以前に道場で目撃していたのだ。佐野さんによると、新日本プロレスの野毛道場で合同練習が終わると、若手選手同士が「こんな技ができるかな?」とトライしていたという。
「そんな時に武藤は、ムーンサルトを試しにやっていました。すぐに成功していました。バック転もすぐにできていましたし、そんな姿を見て運動神経がずば抜けているなと思っていました」
ずば抜けた運動神経を道場で証明していた持った武藤。道場では、もうひとつ重要な「力」を先輩に対し発揮していた。それは「強さ」だった。
※(完全版 さよならムーンサルトプレス伝説)より
武藤がアメリカに渡り、“グレートカブキ”の息子、“グレート・ムタ”になった経緯は別の著書で読んだ。
ムタのWCWデビューは89年だが、武藤はその前からフロリダ“エリア”(当時は米マット界にまだプロモーター制が残っていた)で“ホワイトニンジャ”というギミックで活躍し、それが“ヒールターン”したのが、グレートムタだった。その時はまだ『ムタ』と名乗ってはいないが、ペイントはしていたようだ。
アメリカマットでは、ストーリーが全てだ。
プロレスラーは、言うなれば“役者”(アクター)であり、自らのキャラクターやムーブでお客を沸かせないといけない。
ヒールターンした“ニンジャ”武藤はかなり受けて、地方マット(CWF)から、テレビ中継のあるWCWに“呼ばれ”、サーキット(興行)に加わり、全米の人気者になった。
武藤のギャランティ(給料💴)は“激増”した、という。
試合順も、ヒールターンするまでは若手扱いで前半がほとんどだったが、“ムタ化”すると、当然後半の“メイン”か、そのセミ(ファイナル) 。
怪しげなニンジャキャラ、ムーンサルトプレス🌙(ラウンディングボディープレス)、そして毒霧🌫️
これが観客を興奮させた。
アメリカでは観客の“スイング”(盛り上がり)が一番であり、それが待遇に直結する。
この“ムタ化”が、武藤の“プロレス観”の根底にあるように思う。
プロレスはショーである。
闘う者(レスラー)がいて、その闘いにチケット🎫を買って観る観客がいて、そこで成立する。
興奮した観客がまたチケット🎫を買って見に来る。
そして、プロレスラーには多額のギャラ💰️が入る。
それがプロレスであり、それ以外は“ただのケンカ”でしかない。それもギャラ💰️のない。(武藤はそこまでは言ってはいないが…)
武藤はいわゆる“シュート・プロレス”や格闘技を否定している。
何が楽しいのか?
あれで、稼げんの?
あれが、“プロレス”?
プロレスって、観ていて“楽しいか、楽しくない”か、では?
それはジャイアント馬場の捉え方とも通じる“プロレス観”があるように俺は思う。
(後年、武藤がその馬場が作った全日本プロレスの社長になるのは、因縁か?)
武藤の自伝や著書、評伝を読むと“プロレス”へのこだわりと共に、“プロレス”の定義のようなモノを示したり感じる。
それは『プロレスはショー』という“大前提”を踏まえての矜持だ。
『プロは稼いで、なんぼ』
『そのプロレスで稼ぐには?』
『それは観ている人を喜ばせる事では?』
そんな拘りから、武藤は常に“プロレス”で観る者(観客)を“スイング”(=ヒート=興奮)されることに注力している。
そう思うと、あの高田戦(95.10.9)での“ドラスク→足四の字”は、武藤からの“UWF”という“プロレスではないもの”への答えに思える。
武藤は、UWFというプロレスを嫌う(前田日明がいうには『分かってない』らしい…)。
武藤から見るとUWFは、格闘技でもなく、プロレスでもない。そして、稼げなく、“プロ”とも言えない。
そして、彼ら(UWF勢とそのファン)は、それを『強い』と誇り、称えて、強調する。UWF系の“プロレス”は、武藤からすると『プロではない』のかったはずだ。
しかも、“稼げなくて”、新日本と対抗戦を仕掛けて、興行を盛り上げようとしている。
プロレスは興行であり、お客を集めなければ成り立たない。
これはプロレスに限らず、全てのスポーツイベントやお芝居、イベントに通じる事だ。
“観てくれる人=観客”がいなければ、全て成り立たない。
それが事実で、武藤はアメリカマットでそれを体感したのだろうな。だから、あのような考えになり、あんな“連携”を思い付けたのだ。
武藤は実はプロレスの“真実”を追及しており、リアル(ファイト🦾)をする格闘家より“リアル”だ。
基本的に勝敗にのみ拘る格闘技は、武藤からしたら、“異業種”であり、それを“模して”いるのみのUWFなどは“プロレス”ではないのだろう。
それが、遡って、あの“熊本旅館破壊事件”を生んだと俺は見ている…。
【続く…】