鈴木篠千の日記

2度目の移籍。浜松近郊でフリーライターしてます。①日記(普段の生活やテレビの話題と社会考察) ②プロレス心理学(とプロレス&格闘技の話) ③非居酒屋放浪記 ④派遣録(派遣していた&いる時や過去の話)

プロレス心理学132 “リアル”版さよならムーンサルトプレス伝説へ


武藤敬司、デビュー前に道場で披露していた「月面水爆」…連載「完全版さよならムーンサルトプレス伝説」〈13〉 : スポーツ報知

 

本日(2/21)はプロレスラー武藤敬司の引退の日である。(東京ドーム)



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実のところ、俺は武藤敬司というプロレスラーがあまり好きではなかった。

 

高田信者”(UWF信者)“だった”俺からすると、“あの1995年 10・9”Uインター(と高田とUWF幻想)を“葬った”からではない。


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(高田と武藤はそこそこ仲が良い…)

 

あの同時(1995年)、“UWF=リアル”という“図式”を信じたい(信じたかった)当時の俺からすると、アメリカナイズされた武藤のプロレスそのものや、その考え方が、どうにも好きになれなかった。(新日本は観ていたけどね…)

 

武藤はお客を“スイング”(興奮)させる為なら、何でもする。

そのやり方も心得ている。

だから、“10・9”でも“ドラゴンスクリュー→足四の字固め”という誰も思い付かない“ムーブ”をした。


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俺は何度も書いているが、こんな技の連携を出せるのは武藤だけだ。

まさに“天才”と思える。(当時は、試合後、付き合っていた当時の彼女の家でぶちキレていたなぁ)


数年前、「足が限界だから、ムーンサルトプレスはもう放たない」と必殺技の封印を宣言しなから、その後の試合で出した事があったよね?


“掟やぶり”はプロレスの常だが、これはさすがに厳しくないか?

 

だが、そうした事をするのが、武藤で“ムーンサルト解禁”は批判されたが、観客を“沸かす”というプロレスの最大の“目標”へのアプローチの仕方を一番分かっている“プロレスラー”だろう。  

 

ちなみに、そのムーンサルトプレスだが、武藤は既に若手の頃から体得していたらしい。

 

 佐野さんが証言した武藤が持つ抜群の運動神経。その象徴が「ムーンサルトプレス」だった。

 「ムーンサルトプレスも練習で武藤が“こんなのできるかな?”って言って、試しにやったらできちゃっていたんです。それは、武藤がまだデビューする前でした」

 デビュー5か月後に試合で初公開した「月面水爆」だったが、佐野さんは、それ以前に道場で目撃していたのだ。佐野さんによると、新日本プロレスの野毛道場で合同練習が終わると、若手選手同士が「こんな技ができるかな?」とトライしていたという。

 「そんな時に武藤は、ムーンサルトを試しにやっていました。すぐに成功していました。バック転もすぐにできていましたし、そんな姿を見て運動神経がずば抜けているなと思っていました」

 ずば抜けた運動神経を道場で証明していた持った武藤。道場では、もうひとつ重要な「力」を先輩に対し発揮していた。それは「強さ」だった。

※(完全版 さよならムーンサルトプレス伝説)より

 

武藤がアメリカに渡り、“グレートカブキ”の息子、“グレート・ムタ”になった経緯は別の著書で読んだ。

ムタのWCWデビューは89年だが、武藤はその前からフロリダ“エリア”(当時は米マット界にまだプロモーター制が残っていた)で“ホワイトニンジャ”というギミックで活躍し、それが“ヒールターン”したのが、グレートムタだった。その時はまだ『ムタ』と名乗ってはいないが、ペイントはしていたようだ。

 

アメリカマットでは、ストーリーが全てだ。

プロレスラーは、言うなれば“役者”(アクター)であり、自らのキャラクターやムーブでお客を沸かせないといけない。


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ヒールターンした“ニンジャ”武藤はかなり受けて、地方マット(CWF)から、テレビ中継のあるWCWに“呼ばれ”、サーキット(興行)に加わり、全米の人気者になった。

 

武藤のギャランティ(給料💴)は“激増”した、という。 

試合順も、ヒールターンするまでは若手扱いで前半がほとんどだったが、“ムタ化”すると、当然後半の“メイン”か、そのセミ(ファイナル) 。

 

怪しげなニンジャキャラ、ムーンサルトプレス🌙(ラウンディングボディープレス)、そして毒霧🌫️

 

これが観客を興奮させた。

アメリカでは観客の“スイング”(盛り上がり)が一番であり、それが待遇に直結する。

 

この“ムタ化”が、武藤の“プロレス観”の根底にあるように思う。

 

プロレスはショーである。

闘う者(レスラー)がいて、その闘いにチケット🎫を買って観る観客がいて、そこで成立する。

興奮した観客がまたチケット🎫を買って見に来る。

そして、プロレスラーには多額のギャラ💰️が入る。

 

それがプロレスであり、それ以外は“ただのケンカ”でしかない。それもギャラ💰️のない。(武藤はそこまでは言ってはいないが…)

 

武藤はいわゆる“シュート・プロレス”や格闘技を否定している。

 

何が楽しいのか?

あれで、稼げんの?

あれが、“プロレス”?

プロレスって、観ていて“楽しいか、楽しくない”か、では?

 

それはジャイアント馬場の捉え方とも通じる“プロレス観”があるように俺は思う。

(後年、武藤がその馬場が作った全日本プロレスの社長になるのは、因縁か?)

 

武藤の自伝や著書、評伝を読むと“プロレス”へのこだわりと共に、“プロレス”の定義のようなモノを示したり感じる。

 

それは『プロレスはショー』という“大前提”を踏まえての矜持だ。

『プロは稼いで、なんぼ』

『そのプロレスで稼ぐには?』

『それは観ている人を喜ばせる事では?』

そんな拘りから、武藤は常に“プロレス”で観る者(観客)を“スイング”(=ヒート=興奮)されることに注力している。

 

そう思うと、あの高田戦(95.10.9)での“ドラスク→足四の字”は、武藤からのUWF”という“プロレスではないもの”への答えに思える。

 

武藤は、UWFというプロレスを嫌う(前田日明がいうには『分かってない』らしい…)。

武藤から見るとUWFは、格闘技でもなく、プロレスでもない。そして、稼げなく、“プロ”とも言えない。

 

そして、彼ら(UWF勢とそのファン)は、それを『強い』と誇り、称えて、強調する。UWF系の“プロレス”は、武藤からすると『プロではない』のかったはずだ。

しかも、“稼げなくて”、新日本と対抗戦を仕掛けて、興行を盛り上げようとしている。

 

プロレスは興行であり、お客を集めなければ成り立たない。

 

これはプロレスに限らず、全てのスポーツイベントやお芝居、イベントに通じる事だ。

“観てくれる人=観客”がいなければ、全て成り立たない。

それが事実で、武藤はアメリカマットでそれを体感したのだろうな。だから、あのような考えになり、あんな“連携”を思い付けたのだ。


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武藤は実はプロレスの“真実”を追及しており、リアル(ファイト🦾)をする格闘家より“リアル”だ。

 

基本的に勝敗にのみ拘る格闘技は、武藤からしたら、“異業種”であり、それを“模して”いるのみのUWFなどは“プロレス”ではないのだろう。

 

それが、遡って、あの“熊本旅館破壊事件”を生んだと俺は見ている…。

 

【続く…】