鈴木篠千の日記

2度目の移籍。浜松近郊でフリーライターしてます。①日記(普段の生活やテレビの話題と社会考察) ②プロレス心理学(とプロレス&格闘技の話) ③非居酒屋放浪記 ④派遣録(派遣していた&いる時や過去の話)

本能寺の謎(の一つ)


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先日、本能寺の変の謎を追ったミステリー特番を観た。

面白かった😃


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『実は、光秀は本能寺に居なかった…』などと新説が繰り広げられた。

これはかなり面白い話。真偽はあやしいが…。

 

番組では、明智軍の砲撃痕から、


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鉄砲玉の鉛+錫の貫通性を考察するのは鋭いな。

明智軍の砲撃は殺傷力を高くしてあり、これで長篠では武田騎馬軍を壊滅したという。

 

しかし、明智軍は以前から、鉄砲でのかなり武装を凝っていた節がある。玉の貫通性を改変したの以前からでは?

 

番組では長篠の戦いは『馬防柵で武田騎馬を防いだ』のではなく、『柵で馬、そのものを射殺した戦い』としている。

 

それは俺の考察と少し違う。

宮城谷氏の小説などから、『騎馬移動する武田兵を柵で“一ヵ所”(柵の裂け目)に集めさせ、そこを銃撃した』と思ったいる。

騎馬での移動を攻撃の主軸にしていた武田兵は、策により移動が制限され、一ヵ所に密集“するしかなくなり”、そこを明智軍を含む織田側に狙われたのではないか?

 

ちなみに、この馬防柵には“足りないところ”(南東側)があり、そこを担当させられたのが、信長の同盟者である徳川兵だった。(武田側の東翼には武田最強の山県昌景らがいた)

 

俺は明智光秀には“善人説”“悪人説”があり、まだ判然としてない。

 

光秀の前半生は、出生地の美濃から逃れ、滋賀(高島あたり?)にいたと信憑性が高いと思っている。(資料あり)

 

だが、その後が分からない。

越前の朝倉家にいて、義景を頼ってきた足利義昭の家臣になった、もしくは、元より先の将軍、足利義輝(義昭の兄)の家臣になっていて、義輝が斬殺され、義昭の将軍擁立を画策するようになった、という説がある。

(資料には“足利家足軽頭”と書かれいたものがある)

 

これだけならば、足利将軍家に臣従する忠臣(善?)、とも受け取れるが、足利将軍家を“足掛かり”に、己の地位を上げたいと狙っていた(悪)とも取れる。

 

そして、本能寺の変

 

番組ではさらに、本能寺の変の真相は、


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武田信玄との関係性を示し、

 

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光秀が以前から武田家と繋がっていて、それが信長に露見するのを恐れた光秀が、信長殺害に及んだ、という説を展開されていた。

 

これは面白かった。

というか、少しあり得るかな?

 

番組でも言われていたが、四国(長曽我部)調略中の光秀だったが、それを信長に反古にされたエピソードが披露されていた。

 

さらに、山陰の波多野氏の調略中に、約定をまた信長に反古にされ、光秀は母親を殺されている。

 

光秀が善人だろうが、悪人だろうが、この信長からの“仕打ち”に内心どう思っていたか?

 

そこに、信長に“武田との密約”がバレそうになったのが。引き金か?

 

光秀は、部下の使用人にまで褒章を分けたり、家臣に『主には誠心誠意仕えよ』と諭したり、武田の高名な僧侶を助けようとしたもした。

これをみると、彼は優しく温和で、人想いの善人とも言える。信長に度々と“パワハラ”されていた、“忍耐の人”か?

 

だが、光秀は比叡山焼き討ちに積極的に参加したり、また前述のように足利将軍家側近の地位を利用して信長に近付いたなら、なかなか残忍で狡猾な悪人である。

 

本能寺の変は、『たまたまそういうタイミングが来たから、善人だった光秀も“我慢できなくなり”、信長討伐を決めた』のか、悪人面を隠していたが、『以前から立身出世の為に足利、信長と“頼っていて”、その目論見の中で他国と繋がっていた事がバレそう&そろそろ信長、ヤバい&殺っちゃえる?』と思っていたか?

 

このどちかではないか、と思っている。

また光秀の生年時期は不明だが、この時は70前後の老体。(アニメとかだと若々しい光秀が本能寺の変を起こしているが…)

どういう“心境”で信長や己の人生を見ていたのか?

 

そこが本能寺の謎だと思う。

 

また番組では、


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『信長の首を隠した僧侶=清玉上人』の話が出ていた。

 

この阿弥陀寺の清玉上人の話は『信長の棺』という小説の中に出てくるので知っていた。

この清玉上人は嘘か誠か、信長の双子の兄弟では?

、と噂されている。(この話は小説としては、面白いが…)

ここに信岡の首と遺体がある、とされている。

 

この日、明智軍の中にいた明智家家臣安田国綱(だったかな?)は、本能寺の寝所に侵入し、“寝間着姿の男”(信長?)に襲いかかり逃げられ、そこに来た小姓(森蘭丸)を討ち取った。

それは早朝。明智軍が本能寺を包囲してすぐだったという。

信長は光秀で囲まれた時点で、“天命”を悟り、自刃したのではないか?

 

ならば、“誰か”が信長の首と遺体を持ち出してもおかしくないか?

この話はそうなら、信憑性がある。

 

本能寺は『普通の寺だった』ともあるし、『武装防御を備えた城郭寺院だった』という可能性も聞いた。(番組は“普通説”を展開していたが…)