鈴木篠千の日記

2度目の移籍。浜松近郊でフリーライターしてます。①日記(普段の生活やテレビの話題と社会考察) ②プロレス心理学(とプロレス&格闘技の話) ③非居酒屋放浪記 ④派遣録(派遣していた&いる時や過去の話)

2023 7/10 司法ではなく、“組織の限界”

袴田事件で、


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再審が開始されたが、検察側は袴田氏を“有罪”として立証する方向で準備しているらしいという報道があった。


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もう57年…。

 

これに袴田事件弁護団は、「法曹は恥」と言った。


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この事件のポイントは、味タンクに入っていた血🩸の着いたシャツの証拠としての立証性だ。

 

捏造と思われるのだが、“これが袴田氏の量刑”に対する証拠とするなら、この裁判は根本的からおかしい。(本当に捏造だとしたら)

 

袴田氏の犯行を示す証拠が、他にないなら、そもそも“疑わしきは罰せず”ではないのか?

 

…俺は『蚤の王』(昭和の冤罪製造機の話)を読んでいるから、どうしてもそう思ってしまう。

 

『有罪を前提』というのは、かなり無理筋にならないか?

 

そんな風に検察が動くのは、(…無理)と分かっているが、“組織”としてのメンツや権威主義、プライドとしか思えない。

馬鹿馬鹿しいが、司法の恥ではなく、これが組織の限界。

 

組織は必ず、その組織を守るように動く。

個人は所属する組織を第一に考えるものである。


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『血染めのシャツ』はもう無理だろ?

どう有罪をそれで立件するのか?

(科学的にはかなり微妙、と聞いたが…)