鈴木篠千の日記

2度目の移籍。浜松近郊でフリーライターしてます。①日記(普段の生活やテレビの話題と社会考察) ②プロレス心理学(とプロレス&格闘技の話) ③非居酒屋放浪記 ④派遣録(派遣していた&いる時や過去の話)

ビリヤードの思い出


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ビリヤードをしながら、俺は思い出した事があるので、どうしても書いておきたい。

 

…本当はあまり書きたくないが、キューを持ちながら思い出していたので書いておきたい。

忘れたくはないから。

 

学生の頃、俺に初めてビリヤードを教えてくれた先般がいた。

先輩の住むアパートの近くには、ビリヤード場があり、“ワンドリンク🥤制”だった。

他にもビリヤード屋が数軒あり、皆“ワンドリンク🥤制”だった記憶がある。学生街であり、好きな人が多かったのだろう。

実際、俺のアルバイト先に関西有名大学の“ビリヤードサークルの部長”(この先輩とは別人)がいたりして、ビリヤードは身近なスポーツだった。

 

で、その先輩に誘われ、初めてビリヤードをした。

先輩は慣れていて、煙草😃🚬を片手に、小気味良くボールをポケットに叩き込み、俺にビリヤードのコツを教えてくれた。

 

「そこは、もっと玉の“尻”を叩けよー」

「左手打ちは、手の甲、使うと上手く行くぞ」

「“マッセ”はするなよ」

 

よく言われた。

 

ビリヤード以外にも、その先輩とはいろんな話をした。

よく酒も飲んだし、ケンカもした。キャンプ⛺や旅行👜も行ったりした。

先輩がキャンプで、川で流されたりした事もあったなぁ。(二人とも無事)

先輩のアパートで酔って裸になったりして怒られたなあ。

俺が女の子にフラれて慰めてもらったり、俺の後輩が彼女と揉めた時は、そいつにお説教したりした(笑)

ビリヤードをしながら、いろんな話をして、俺が友人とビリヤードの勝敗で口論になり、仲裁してもらったりした。

ビリヤードをしてから、近くのチェーン系居酒屋🍻で騒ぐのが、よくあるパターンだった。

 

その先輩との思い出は、ビリヤードを含め、楽しいものばかりで、ビリヤードをしながら、俺は懐かしい気持ちと悲しい記憶が蘇っていた。

 

その先輩は、数年後、自分を自分で“排除”したからだ。

 

最近、とあるタレントが“自らを排除”した。

 

俺はその先輩を止められなかった悔しさを今も抱えている。

そして、自らを排除する人間を絶対に認めない。

 

実は、俺には他にも“自分を排除した先輩”がいたりして、俺はそういう行為を絶対に認めたくない。

何故、生き続けないのか?

嫌なことだらけで、辛い事ばかりで、ロクな事がない社会や人生だが、それでも生きていたら、どうにかなる。

命は全ての“元値”だ。

生きていれば、どうにかなる。それは病気になり、死にかけた俺が一番実感している。

 

人間の元値は変わらない。

それは社会の元値も、人生の元値も変わらない。

だから、命は大事だ。

それがないと、何も始まらないと俺は実感した。

 

それを放棄した人間を俺は認めたくない。

小馬鹿にされ、頭に来る事ばかりだが、それでも俺が生きているのは、そうして己を“消した”連中を認めたくないからだ。

 

言葉は悪いが、結局、己を“排除”する選択しかしなかった人間は、決して幸福にはなれないと思っている。

命を“排除”する事は、幸福さえ手放しているからだ。

命が無ければ、生きる辛さも無いが、喜びもまた無い。

一緒にビリヤードをする楽しさも無い。

 

それなら“彼ら”が、そうすることを止められなかった俺自身への悔恨があるが、それでも生きて俺にでも愚痴って欲しかった。何か言って欲しかった。

八つ当たりでも良い。

生きて、辛くて嫌で楽しい時間を共に歩んで欲しかった。どこかでバカ話したり、誰かの悪口や愚痴を話したかった。

 

今夜、ビリヤードをしながら、あの先輩の事を思い出していた。

少し悲しく、楽しく、寂しい気持ちだった。