鈴木篠千の日記

2度目の移籍。浜松近郊でフリーライターしてます。①日記(普段の生活やテレビの話題と社会考察) ②プロレス心理学(とプロレス&格闘技の話) ③非居酒屋放浪記 ④派遣録(派遣していた&いる時や過去の話)

2023 10/20③ 自分を“排除”するくらいなら

市川猿之助被告の裁判。


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俺は“自らを排除する”人間を認めない。

病気(脳腫瘍)で死にかけた事のある俺だから、命を、それも自分のそれを身勝手に扱う“バカ”が大嫌いだ。


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市川猿之助被告の裁判で“排除”の理由を 「週刊誌に自らのハラスメントが載るので」と述べた。

 

何を持ってして、“ハラスメント”か?、という問題はあるが、他人を攻撃し、“排除”したがる人間はやがては、自分を“排除”する、と俺は思う。

何故なら、『自分は正しい』と思っているからだ。

自分の正しさを他人に“強要”する。

それはよくある事だ。俺もそうだ。

 

だが、一旦その“強要”が非難され出すと、大きなショックを受ける。

何故なら、『自分は正しい』と思い込んでいるからだ。

そんな自分自身を否定されだすと、途端に自分を追い込み出す。

“正しさ”など、すぐに変わるからだ。

歌舞伎界という“小さなグループ内”で正しさを主張していた猿之助被告は恥を知るべきだ。

そうしたバカを、これまで山ほど見て来た。

 

猿之助被告もそうではなかったのか?

本人は「歌舞伎の為」とか「良い演技の為」と思っていたり、「これが俺だ」と思っていた行為が、“ハラスメント”と“断崖”され、途端に自身の“在り方”を失い、一気に『…ならば、“自身を排除”しよう』と思ってしまったのではないか?

 

俺から言わせてもらえば、そんな事をしても“新しい世界”などにはいけない。

 

明らかに間違っている。

他人を排除しておいて、“風向き”が変われば、次はさを“排除”し出す。

恥を知るべきだ。

 

自分が嫌なら、生きて後悔するべきだ。

 

前の工場で、俺に「あの人(上司)、すぐパワハラしてくるからなー」と愚痴っていた奴が、俺と揉めたら、“その上司”に俺のことを“訴えた”。

 

俺は内心、驚いて苦笑した。

その上司のパワハラを嫌がりながら、風向きが変わると、「○○さ~ん」とすがり付く。

コイツの頭の中で、どう“整合性”が取れているのか?

恥ずかしくないのか?

 

そうして他人(俺)を排除したがっていた“アイツ”は、きっとこの猿之助被告のように、やがては“自らを排除”したがるだろう。

哀れな奴だ。


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猿之助被告の役者としての実力は確かなもの、と素人の俺でも思う。(“最初はパー”、面白かったな)

 

自分を“消す”くらいなら、f:id:ojpkb:20231020182417j:image

またあの演技が見たい、と思う。

それがこの人の贖罪ではないのか?

“排除”で逃げるな。

居続けて、恥をかいているべきだ。