鈴木篠千の日記

2度目の移籍。浜松近郊でフリーライターしてます。①日記(普段の生活やテレビの話題と社会考察) ②プロレス心理学(とプロレス&格闘技の話) ③非居酒屋放浪記 ④派遣録(派遣していた&いる時や過去の話)

2023 4/ 4 “変わらない”から選挙へ行こう。

静岡県統一地方選が近付いている。(4/9日曜)


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浜松新市長は誰になるのか?

そこら辺に選挙カー🚌がいて、少しうるさい👂️⚡

 

今の俺は選挙(地元の未来?)より、自分の未来だ。

 

あるYouTuberが「選挙に行っても何も変わらない」と言っていたが、俺もそう思う。

 

政治家(になる人)は、選挙では常に“耳障りの良い”事を言う。当たり前だ。

 

だが、直接、自分自身(有権者)の利益になることを実行すると約束する政治家はいない。(少ない)

社会に、地域に、“大まかに”利益になるような事を抽象的に約束する。

「子供や老人に応える政策を!」

「地域を根差した政治家になる!」

「困っている人を救う為に…」

 

たがら、立候補者の“マニフェスト”など見ても仕方ない。

当選したら、必ずそんな事が実行され、票を入れた己の“利潤”になるかは、期待できないからだ。

 

政治は俺達自身に有益になるとは、限らない。

だから、俺達の一票では、俺達は“変わらない”😨

可能性はあるが、限りなく少ない。

 

ならば、だ。

“期待”できそうな奴(立候補者)に入れておこう。

期待薄だが、せっかくの一票だ。

“期待せず”に投票しよう。

 

俺は立候補者の政策などは見ずに来歴のみを見る。

自分と似たような経験をしている人間に入れるようにしている。

 

立候補者の中には、『会社社長⇒団体幹部⇒政治家秘書』みたいな“底”を知らない人間がいる。

それで政治家になるのは別に構わないが、そんな人間が「皆さんに寄り添う」事ができるか?

 

小説の中でも、何度か書いているが人間には“元値”があると思う。

“底辺”を知らない人間は、底辺を見ることや感じることが出来ない。

どんなに言葉を尽くしても、優しい言葉を使っても、“体感してない”からわからない。

 

だから、そんな立候補者には期待しない。票は入れない。

 

ま、期待できそうな立候補者が必ずしも期待に応える事はない。

政治家には大して期待しない。

一票では何も変わらない。

でも、俺には一票があるから使う。期待薄だし、それで俺の状況は変わらない。

“だから”使う。それだけだ。

 

そんな風に俺は選挙を見ている。

 

また、使わないのに、「政治がおかしいから、俺の人生か上手くいかない💢」などと言ったりするのは、矛盾がある。

何も変わらないが、使えば文句を言う“権利”ぐらいあるだろ。