鈴木篠千の日記

2度目の移籍。浜松近郊でフリーライターしてます。①日記(普段の生活やテレビの話題と社会考察) ②プロレス心理学(とプロレス&格闘技の話) ③非居酒屋放浪記 ④派遣録(派遣していた&いる時や過去の話)

“狭間”の悲しみ(大谷吉継)

大河ドラマ『どうする家康』で、興味深い話があった。

 

話は関ヶ原“間近”。

大谷吉継が、隠居した石田三成を来訪。

家康への“感情”を探る吉継だが、

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それは家康の指示。

家康は、吉継を“使って”、佐和山城にいる三成の動向を探っていたのだ。

 

実はこれは史実に近い。

ゲームやドラマだと、大谷吉継は三成の盟友のように扱われるが、史実の彼は家康側(…というか、寧々と親しかった)に近かった思われる。

決して“三成支持”ではなかった。

そんな書状が見つかっているはず。

 

このドラマでは、主人公の徳川家康を“平和の求道者”のような描かれ方をしているが、本来、この頃(“関ヶ原”前)の家康は、豊臣政権に見切りを付け、その打倒を画策し、“嫌われ者”の三成を“仮想”豊臣政権と仕立て上げていた時期だ。

 

吉継を“スパイ”させる可能性は高い。

何故なら、三成に近い(盟友ではない)吉継は、その動向を探らせやすいからだ。

 

可哀想なのは、その吉継だ。


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潔白すぎる三成は、家康への怒り💢を爆発。

家康討伐に立つ。


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それに巻き込まれる吉継。

期せずして、家康(東軍)と、三成(西軍)の“狭間”にいることになり、やがては、戦いたくない天下分け目に三成側(西軍)として、向かわされる羽目になる。

そして…。

 

ちなみに、この頃の吉継はらライ病(ハンセン病のせいで失明していたはず。ここまではっきりと動けたかな?

 

家康は三成という“真面目過ぎる官僚”を、“仮想”豊臣政権として、対敵化させた。実に巧妙だ。

 

たまたまその三成と親しかった大谷吉継が交渉を任され、西軍(三成側)になってしまう💦

 

この大谷吉継は、運が悪かったのだ。

優し過ぎたのかもしれない💦

人は“狭間”に立つと、危うくなる。

本人の意図しない方に向かってしまう。

 

そして、真田一族(昌幸、信之、信繁)も、そうなる(次回?)