大河ドラマ『どうする家康』で、興味深い話があった。
話は関ヶ原“間近”。
家康への“感情”を探る吉継だが、
それは家康の指示。
家康は、吉継を“使って”、佐和山城にいる三成の動向を探っていたのだ。
実はこれは史実に近い。
ゲームやドラマだと、大谷吉継は三成の盟友のように扱われるが、史実の彼は家康側(…というか、寧々と親しかった)に近かった思われる。
決して“三成支持”ではなかった。
そんな書状が見つかっているはず。
このドラマでは、主人公の徳川家康を“平和の求道者”のような描かれ方をしているが、本来、この頃(“関ヶ原”前)の家康は、豊臣政権に見切りを付け、その打倒を画策し、“嫌われ者”の三成を“仮想”豊臣政権と仕立て上げていた時期だ。
吉継を“スパイ”させる可能性は高い。
何故なら、三成に近い(盟友ではない)吉継は、その動向を探らせやすいからだ。
可哀想なのは、その吉継だ。
潔白すぎる三成は、家康への怒り💢を爆発。
家康討伐に立つ。
それに巻き込まれる吉継。
期せずして、家康(東軍)と、三成(西軍)の“狭間”にいることになり、やがては、戦いたくない天下分け目に三成側(西軍)として、向かわされる羽目になる。
そして…。
ちなみに、この頃の吉継はらライ病(ハンセン病)のせいで失明していたはず。ここまではっきりと動けたかな?
家康は三成という“真面目過ぎる官僚”を、“仮想”豊臣政権として、対敵化させた。実に巧妙だ。
たまたまその三成と親しかった大谷吉継が交渉を任され、西軍(三成側)になってしまう💦
この大谷吉継は、運が悪かったのだ。
優し過ぎたのかもしれない💦
人は“狭間”に立つと、危うくなる。
本人の意図しない方に向かってしまう。
そして、真田一族(昌幸、信之、信繁)も、そうなる(次回?)