鈴木篠千の日記

2度目の移籍。浜松近郊でフリーライターしてます。①日記(普段の生活やテレビの話題と社会考察) ②プロレス心理学(とプロレス&格闘技の話) ③非居酒屋放浪記 ④派遣録(派遣していた&いる時や過去の話)

2023 11/1 矛盾(再応募)

『他からの評価は聞くに値しない』と書いたが、少し思う事がある。

矛盾した事を書く。

 

他人の評価は、やはり“他人の評価”である。

不登校の甥っ子のようにいちいち気にしてもどうにもならない。

 

だが、その判明、人はその“他人の評価”で評価される。

世の中の人は、自分自身に様々な評価をする。

からしたら、(こんないい加減なヤツが何で認められる?)と思えた人間が、上司になっていたりした。

人の“見方”は様々だ。

間違ってはいない。“多数決”に近いと思う。“賛否”の多さで評価が決まる。

どんなに否定しても、賛美が多ければ、それはそういう評価になる。

『聞くに値しない』と言ってもそれで給料が決まったり、組織の中で評価されるのならば、それは『聞くに値する』のではないか?

 

過去にブラック企業や地元求人誌編集、某年金事務所などを渡り歩いてきて、病気の影響から口が不自由という“評価”をされてきた俺からすると、やはり『人の評価は聞くに値しない』と思える。

それは気にしても仕方ない、からである。

キリがないからだ。

無数にいる“他人”からの評価を、常に“good😃”にしていられる人間などいない。

多数の評価があるのだから、自分に否定的な意見も存在する。

ましてや俺など否定だらけだ。それは分かっている。

 

だからといって、気にしすぎるのもどうか?

 

組織は、他人は、常に自分を評価する。

職場で、面接で、履歴書で、一目見て、評価する。

他人と生きる社会では仕方ない事だ、と思う。

 

非常に矛盾しているが、『他人の評価など聞くに値しない』が『他人は評価を評価する』のである。

 

プラス(賛美)は賛美として人々に広まり、マイナス(否定)は否定として広まる。

そして、それが他人からの評価になる。


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今日、ハロワに行ってきた。

また、“あの会社”に応募してきた。

先日、応募して、書類選考で落選したのだが、また求人が出ていたのを見つけていた。

「一回、落ちているだろ」?

 
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まだ、やってやるよ! 

挑戦をやめた時に、人は老いていく。

 

前回の書類選考落選がどうにも納得いかなかった。


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『お前なんて、ダメに決まってんだよ💢』という“評価”なのだろうが、構わない。気にしない。ダメならそれで良い。

また挑戦してやる!💢💢💢


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やれんのか、おいっ!💢

 

こっちは職が無くて困っているんだ。やるだけやってやる。

 

他人の評価は、やはり、それが俺の評価だ。間違ってはいない。

だが、気にしても仕方ない。

笑うなら、笑えば良い。

俺は俺のやりたい事を、行きたい“道”を行く。

 

これで今の応募状況は…、

 

ネットワーク整備(バイト)⇒近々面接。

織物工場(正社員)⇒書類選考。

“とある会社”⇒再び書類選考。

 

そして、まだ不安だなあ。