介護施設での日雇い仕事(1/25)の“後編”
大久保君と、ここ最近の施設で起こったことや、“本田2”の移籍話(要求)の事を聞いた。
そして話は利用者の事になった…。
というのも、今日はいつも人を呼びまくる“赤川さん”(仮名=利用者)からの呼び出しが無い。
いつもは矢のような催促でトイレなどを要求するのたが…。
(…どうかしたのか?)
大久保君に尋ねると、入院されたらしい。体調があまり良くないらしい。
この施設は介護施設だが、障害者のいるグループホーム。見た目は普通たが、精神的に様々の症状を持った方がいる。
プライベートなことなので詳しくは書けないが、赤川さんも、よく話しかけてくる“武田”さんも、かなりよ“闇”を抱えている事を聞いた。
統合失調症とは怖い病気だ。
妄想というやつは人をどこまでも“突き進めて”しまうのだと、改めて思った。
人は自分の都合に合わせて“話”をする。
『予想』や『予測』。
やがて、それは身勝手な『想像』
それが酷いと『妄想』になり、現実的ではない事を“信じて”しまう。
“思い込み”は実に怖い。その人には、それが真実になってしまう。
俺の書いている小説(浜松“合シリーズ”)もそうだ。
あれは全くの想像。
俺の実体験や出会った人間を“愚痴”を含めて書いているが、俺の身勝手な“想像”だ。
だが、それはあくまで“俺の頭の中”の話。
現実ではない。
そこの“境目”が、まだ俺の中では区切られている。
だが、それを突破してしまう人間がいる。
この話を後、リビングのテレビで、
京アニの放火殺人裁判で犯人に死刑が言い渡された話題が流されていた。
この男のしたことはただの殺人であり、量刑として死刑は妥当と思う。
だが、その理由が「自分の小説を盗用された」という妄想(思い込み)…。
酌量の余地はないが、その妄想がこの犯人には事実だったのだろう。
そう思うと、哀しい。
あり得ない事を信じ込み、それを真実として放火🔥までする。
こちらから見ると馬鹿馬鹿しいが、本人は“本気”…。
“境目”を越えてしまっている。
人には保つべき境目があるが、それは育ってきた環境、状況や事情で“越えてしまう”。
妄想は『妄想ではない』と思う人間には、限りなく真実だ。
思い込みは『考えられない』が、『そうでないと困る者』からすると、『真実でないといけない』
だが、それは本人も他人も家族も不幸にする。
この施設にいる利用者にはそうした哀しい“背景”がある。
だから、自分の事を振り返ってしまう。
俺も“境目”が近い時がなかったか?
小説に“落とし込めて”いなかったら、それを“現実”にしていなかったか?
現実はいつも理不尽だ。
俺も金も仕事も無く、病気(脳腫瘍)の影響で小馬鹿にされて、その“反動”があの物語になっている。
俺には、小説や“書く”ということがあって良かった。
そう思えた。