前回でも書いたが、プロレスにはヒール(悪役)が付き物だ。
ヒールが暴虐を尽くし、酷い事をする。
それをベビーフェイス(正義の味方)が阻止して、ヒールを倒す。
そんな勧善懲悪のストーリーがやはりウケる。
古典的たが、未だにあるブック(台本)だ。
古くは、ザ・デストロイヤー。
タイガー・J・シン
ロード・ウォーリァーズ
NWOの蝶野
今は…ロス・インゴベルナブレス(デ・ハポン)の内藤哲也かな?
プロレスはこうした"悪役"によって彩られている。
彼らが相手を痛め付け、汚ない方法で勝ち、観客にも悪態を付く。
観客は、彼らに罵声を浴びせ、彼らがやられる事に喝采を上げて興奮する。
興奮はそのままチケットの売上に繋がる。
ヒールが酷い事をすれば、するほど盛り上がり、収益は上がるのだ。
(…違う時もあるけどね)
これがプロレスの基本原理の一つだ。
ポイントは彼らが悪"役"だ、と言うことだ。
あくまでも"役"なのだ。
職業として相手レスラーに酷い事をして、卑怯な手を使い、観客を罵ったりする。
だが、一度リングから降りたら、そこらにいる人の良い他人と変わらない(と思う)。
今じゃ、ヒール(悪役)の方が人気があったりする。
では、社会という"リング"ではどうか?
我々が生きる社会にもヒールはいる。
うるさい上司、人の手柄を横取りする同期、騒がしい隣人、いきなり電話してくる友人…。
皆、ヒールである。
だが、プロレスのヒールと明らかに違う点がある。
それは、
プロレスのヒールは役として"自覚"してヒールを演じる。
社会のヒールにヒールとしての"自覚"はない。
仕事が出来ない奴も、サボる上司も自身に"悪"という意識は無い。『これは仕方ないから』とか、『別に良いでしょ?』という理由を正当化している。
いや、そんな正当化さえしていない。
自分としたら当たり前の事をしたり、言ったりしているだけだ。
とするなら、我々は誰もがこの社会で"ヒール"なのだ。
(俺もね)
新社会人など、"新人である"というだけで悪なのかも。
『何にもしらないのかよ…』
『教えるの面倒だな…』
『偉そうだな。コイツ…』
何にもしていなくても、存在がヒールだ。
会社の玄関を入った瞬間。
何にかしゃべった瞬間。
自宅から出た瞬間。
貴方は既にヒールだ。
人は他人から『いい人だ』と見られたい動物だ。
嫌われたくない。怒られたくない。頼りにされたい。仲良くしたい。
そう思っているはず。
だが、実社会は違う。
やりたくなくても、社会は貴方にヒール(悪役)をやらせる。
何かあれば、"悪役"である貴方の責任になり、"悪役"の貴方は社会、組織、個人に不利益ばかりを与えている、と思われる。
それは細かくみれば、貴方の責任ではないのだが、社会は常に攻撃出来るヒール(悪役)を求めている。
社会=プロレス。
だから、プロレスにヒールが必要であり、社会は誰かを悪役にさせる。
覚悟をしておくべきだ。
我々は常に誰かのヒールである。
こっちから言えば、向こうこそがヒールなのだが、相手にはそんな事通じない。
自分がベビーフェイス(正義)で、
相手はヒール(悪役)なのだ。
常に。
ならば、悪"役"でいたらどうか?
嫌われ、戒められ、低く見られる。
それを受け入れ、それでも胸を張って生きていたら良い。
本当に悪い事をしたらダメだが、自分の権利を主張するのは、貴方の自由だ。
それで嫌われ、低評価を付けられたならもっと怒れば良い。
それが嫌ならその場を離れろ。辞めてしまえ!
プロレスのヒール(悪役)はあくまでも役だ。
誰かを罵り、小馬鹿にし、怒らせても、それが役目だ。
組織などで、それをやれば必ず嫌われる。
だが、貴方が社会で何をしても必ず嫌われる。
ならば、好きなだけ嫌われたら良い。
悪"役"(あくまでも役)を全うしろ。
相手を挑発して怒らせろ。
周りに悪態を付け。
嫌なら奴と思われろ。
何をしても否定的に捉えられるのだ。
覚悟をしておいたら良い。
俺もそうだった。
大学を卒業して入社した販売の会社では、『出来ない奴』とレッテルを張られ、腐りたくなく、一生懸命に"頑張る人"を演じていた。
今から思えば、間違っていた。
俺を見下したり、低く見る奴らには「うるせぇ、バカ」と怒鳴っておけば良かった。
それくらいで十分だったのだ。
ヒール(悪役)で生きろ。
…ずっと、ヒールは嫌だ?
大丈夫。プロレスでもヒールは良くベビーフェイスになる。
※"ターン"という。
何かの拍子に、評価など一変する。
そんなもんだ。