※現在、既に7/16(日)の午前0時。昨日(7/15)の事を思い出しながら、書いてます。
昼過ぎに起きた。
昨夜の酒🍶のせいもあるが、仕事の疲れか?
このブログを書いていたら、実家から着信が入っていた事に気付いた。
親父から一回。実家本電話から一回。(五時間前…)
(…どうした!?)
と慌てて折り返すと、親父が暢気に「…お前、休みなら、畑起こす(耕運機)、やってもらおうと思ったんだが」と言ってきた。
緊急事態ではなかった事に内心胸を撫で下ろしながら、俺は「…明日(7/16)、俺が戻ってするよ」と言った。
しかし、既に両親でやってたらしい。
親父は身体にペースメーカーを入れていて、喉には癌がある(ステージ1)
俺は怒った💢
「そういう事は俺がやるから、無理してやるなよ!💢」
「…別にこれくらい大丈夫だ💢」
「だけどなー」
親父はそんな状態でも元気なのだ。身体の動きは鈍くなったが、比較的動ける。
だから、オート(レース)や近くのショッピングモールなどに言ったりする。
俺はそれを何度か注意している。
だが、元気な親父がずっと家にとじ込もっているのは無理だ。
それに俺も僅かだが、小遣い👛をあげている。それでまた外に出る。
今日みたく、畑を耕すくらいの事は「ワシにもできる!」という気概がある。(それはそれで良いのだが…)
老境を向かえると、人は“じっと”はしていられなくなるのか?
困った親父だが、どうしょうもない。これこそ『仕方ない』のかもしれない。改めて人間の老いについて考えてしまった。
それに寝過ぎて、早起きしていない俺も悪い。
その後、洗濯と部屋の掃除をして、少しゆっくりした。
で、俺もじっとしていられず、また浜松の街中へ。
…親父の事は責められないな💧
JR近辺の飲み屋に行こうと地下を歩いていると、
そう言えば、『どうする?家康 大河ドラマ館』に行こうとか書いておいて、全く行ってなかったな。(市役所の南なんだ…)
今から行くか?、と思ったが、既に17:00過ぎ。
止めといた。
で、JRの構内を歩いていると、
“ちゃんと家”(ちゃっと家)が“坐”化している!
しかと、“880円”のちょい飲みもある。
前は靴の直し屋(?)だったところだ。
昨日の
“gyoza-king”(餃子男)の2号店といい。
ここ数ヵ月、街中に出てなかったし、出ても“パターン”化した店にしか、入っていない。
これは良くない傾向だ。
“新しい変化”を受け入れられない人間は、必ず埋没する。
『歩みを止めた時に、人は年老いていく』
“あの闘魂”も言っていた。
不安に飛び込め。
挑戦を諦めるな。
出会うこと全てを待っていろ。
で結局
いつもの“ファミレス”へ…。(2日連続)
人の“元値”は変えられない、である。
今日もここは大にぎわい。
チキン🍗とワイン🍷を飲みたくなるが、今夜は我慢。
しかし、このまま“次郎”にいけば、また“いつものパターン”だ。
ここ(ファミレス)で、水とデザート🍦で二時間粘る(邪魔?)
そして…。(続く)