先程、会社に連絡して退職を告げた。
この前は留意を促してきた部長だが、今回は簡単に了承した。
簡単に了承されるとされたで、(―本当は、別に俺なんて“要らなかった”のでは?)と穿った気持ちになる。
だが、一度「別部署でやらないか?」というありがたい申し出を断ったのは、俺自身た。
それに、(もうここは嫌だ💢)と散々ここで書いてきた。
今さら…という話だ。
退職の電話をしてから、猛烈に不安な気持ちが沸いてきた。
バカか、俺は?
俺自身が望んだ結果だろ?
今さら、ガタガタ震えんなや💢…と気持ちを強くした。
しかし、この2ヶ月は何だったのか?
意気揚々と入社して、汗だくで働いて、喧嘩して、怒られて、苦しんで、悩んで…。
ストレスで酒飲んで、キレて…。次郎の大将、呆れていたなあ。
そして、俺には何か残ったのだろうか?
そう考えたら空しくなる。
無駄だった?
だが、そう思いたくない。
これは“変わり目”だ。そして、わかったたろ?
俺に工場勤務は厳しい…というか、複雑な作業に身体が付いていけない。
脳腫瘍の影響?
いや、元々俺がトロいだけだや。
それがわかっただけでも収穫と思いたい。
ここからだ。またやり直すしかない。いつもこうして立ち上がってきただろ?
そう思いたい。
仕事は無くなった。親父は末期ガン。
金無し、コネ無し、女も無し。何も無い。マイナス要素しかない。
こうした窮地になると、以前もこのブログて書いたが、俺はいつも思う言葉がある。
『深谿に至らざれば、地の厚きを知らず』(孫子?)
意味は『深い谷底を見ないと、大地(山)の高さは分からない』、つまり『どん底を経験しないと、そこから立ち上がれない』というような意味なのだが、俺は『地の厚き』という言葉がいつもに気になる。
高い山丘をみて、「あそこは地面が厚いなあ」と思うか?
多くの人が『高い山だな』と思うはずだ。
だが、ものすごく大きな目線で見れば、山は『地面の厚い箇所』と言えなくもない。
これはつまり、「どん底の時は、考え方、見方を変えろ」だと俺は解釈している。
多くの人が『ヤバい』『ピンチ』と思う場面は、見方を変えたら、また違うのかもしれない。
『チャンス』『リスタート』『倍返し』と見る事が出来ないか。無理矢理。
まさに“思い込み”だが、そう信じてみたい。
俺はもう少し頑張ってみたい。ダメか?
何でこうなったのか、それを考えて、明日から動こう。
いつもファミレスへ行こうか?