“トリミン”でしたたかに飲み明かし帰宅🏠️
深酒はなんとか回避。
明日の仕事(日雇い)は見つからず…。
すると、待望の応募企業から合否連絡らしき封筒が届いていた。
しかも、『環境整備』(面接結果)と『図書館補助』(書類選考)。
2通来た!
(来た、来た!☺️)と思った。
だが、この連絡の遅さ…。何となく覚悟はしていた。
…二社ともに不採用💧💧💧
ま、予想はしていたが、『環境整備』は面接もして、かなりイケたような感触があったのだが💦
「クソっ!💢」
酒🍶の勢いもあり、俺は思わず怒鳴ってしまった。(隣なの方、すいません💦)
トリミンで1人キレていた💢のもある。
酒の勢いが出た。
昨日の記事で『…1ヶ月が過ぎて、俺は少し落ち着いたと思う』なとと書いたが、一気に気持ちが凹んだ。
…2社連続はキツい💧💢
これで残るは…、
『構内作業』…書類書類
『皿洗い』(土曜のみ)…合否待ち(22日まで)
…となった。
ものすごく不安になっている。
『構内作業』も連続が遅いから…おそらく…。
特に、今来たの『環境整備』不合格が、かなり俺にプレッシャーを監事させた。
来月から仕事、どうしよう?
そして、“嫌な思い出”が蘇ってきた。
2回目の脳腫瘍手術からの退院後、いろんなところの求人に応募したが、全く相手されなかった…。
2回も頭の手術をした俺など、誰も相手してくれなかった💦
地獄だった。誰も俺を避けている気がしたよ。
…あの時の哀しさ、怒りが思い出される。
俺の中に、憤りも予想が渦巻く。
(…何で、何で、何で💢)
(この口か? この声のせいか?)
(脳腫瘍の再発が怖いか?)
(親父の介護者の話をしたから?)
分かってはいたが、どうしても“馬鹿にされた”気持ちがする。
軽く酔っているのもあり、頭に血が昇ってしまった。
その時、テレビで…
両足の無い女性の話が出ていた。
子供の頃、親に捨てられ、1人で生きてきた。
スケボーで移動し、ものすごくポジティブ。
何でも1人でやってしまう。(車運転、モデル業、ヨガ)
「私がどうやってトイレするか、気になる?」などと気軽に言う。
脚の無い事を全く気にしていない。
しかも、脚が無い事を“利用”して、ドラマにゾンビ🧟として出演。
“脚が無いから”、脚が“もげて”動くゾンビ🧟の役ををした。
本当に両脚の欠損を気にしていない。
これは普通にしていたが、普通なら、なかなか受け入れられない事だと思う。
むしろ、それを利用している?
なんと、女優を目指し、来年主演映画が撮影されるらしい。
やはり、“脚の無い”彼女は、それを“利用して”いる。
それで明るく、普通に生きていて、ポジティブだ。
以前から俺は、『深谿に至らざれば…』という孫子の言葉を『窮地に陥れば、“考え方”や“見方”を変えてみろ』と解釈している。
この彼女にとって、“両足がない”という“深谿”は、見方を変えたら、“利用できる武器”になっている。
まさに『深谿に至らざれば、地の厚きを知らず…』だな。
…彼女の話を観て、俺の中で、心が落ち着きを取り戻した😌💕
誰かに“拒絶”されても、焦ったり、戸惑ったり、怒ってはならない。
声が不自由な事、脳腫瘍になった事を“マイナス”に捉えるのではなく、“プラス”に出来ないか?
事実、俺の“合シリーズ”は、この俺の状況を“使って”展開させている。
あれも“深谿”の捉え方の違いだ。
物事は見方を変えたら、マイナスとプラスになるか?
…これだ。
これだな?
俺の中で少しだが、“何かが”見えてきた。
明日は、日雇いは休みにして、“利用”してみようと思った。