『…この連休中の仕事(日雇い)、どうしよう?』と思っていたら、昨夜、簡単に明日(9/18=月曜)の日雇いがあっさりと決まった。
日雇い派遣とはこういうものである。
日ごとに仕事を探すしかない。仕事が無いから。
常に“明日”が定まらないが、安易に“決まったり”する。
不安定の中で生きるしかないのだ。
先日の『介護施設』の日雇いで“先輩”(経験者)と話した事を思い出している。
『お互い、貧乏だよな』という話になった。
その先輩は、
安部前首相を殺害した山上容疑者を褒めはしなかったが、「他の弱者を狙うような犯罪よりは、理解出来る」というような事を言っていた。
実のところ、俺もこの事件を起こした犯人には、同情こそしないが、犯行自体は“勝手に”話理解できてしまう。
この事件はあれから“政治家の宗教問題”になっていたりする。
また“洗脳”という問題にもなっていて、こんな詐欺集団(と俺には思える)これはこれで追求されるべきだと思う。
しかし、若者の“貧困”を置き去りにしてないか?
『それは関係ない』という意見も聞いた。
だが、俺にはそう思えない。
やはり、そこに貧しさがないか?
…同じ世代(40代)の自分も貧乏だから、というのももちろんある。
この銃撃を遡れは、
『安倍川元首相を撃つ!』
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『どうも有名政治家と昵懇で、守られているようだ』
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『誰かあの“詐欺”集団を援助している?』
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『俺の人生はあの詐欺みたいな“宗教”のせいでボロボロだ! クソが💢』
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『母親が新興宗教にのめり込んだから、金💴がない』
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『俺は子供の頃から貧乏だな…💢』
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『俺ってなんで、こんなに貧困なの?』
となるようになり、やはり根幹には“若者の貧困”かあると思えてしまう。
思い直すポイントや、貧困から“脱出”するポイントはたぶんたくさんあったのではないか?
そこをことごとく“スルー”し、追い込まれ、あんな事件を起こした。
それは同情できない。
何があっても他人を殺しては意味がない。
だが、最後にそこまで追い込まれたり、考えが“至ってしまった”事は理解できる。
貧しさは怒り💢を産む。
本当にそう思う。
そして「それって、お前のせいだろ?」と自省的な結論に至る。
社会の中でそれは、本当にそうだ。
金💴があれば、あんな事件は起こらなかったはずだ。
本人の努力が足りない。
我慢できない若者。
組織に適応できない。
社会に八つ当たりするな。
全て正解だと思う。
社会で金銭を得たいなら、努力して、適応して、我慢して、社会と“寄り添って”、“攻撃”せずに生きるしかない。
それも俺は理解できる。そうしないと社会では生きて行けない。
それが出来ないから、今の俺があるような気もする。
だが、俺のように、そうした事ができない奴もいる
足りない努力をして、組織に馴染めず、我慢も出来ずに、社会へ八つ当たりしたくなる時がある。
そうした人間を『理解できない』と切り捨てたら、どうなるのか?
社会とは、努力して、適応出来て、我慢して、寄り添える者だけのものか?
それなら、また彼のような“攻撃”をする人間が増えるだけだ。 俺もそうなるかも?
何でも“弱者救済”するのもどうかと思うし、社会と上手く付き合える人間や、組織に適応する者が優位になるのも当然だし、本当はそれが良いとも思う。
しかし、そうできない人間もまたいる。
自己努力で、どうにかするしかない。
八つ当たりせず、他人を攻撃せず、生きるしかない。
貧困から脱出する方法はそれしかない。
ただ、“やり方”は自分で決めたい、とも思う。
日雇い派遣などしたくないのが本音だ。
金💴を稼ぎたいし、自分の生活をもっと豊かにしたい。
明日の仕事で悩みたくないよ。
結婚もしたいし、家族も欲しい。
両親も安心させたい。
そのために生きている、と俺は思う。
それが出来ないのを他人のせいにはしない。
しないが、“八つ当たり”はしたくなる。
その気持ちは理解できてしまう。俺もそうだから。